――第三話――



「咲羅様、後五分程で北高校に着きます。起きておられますか?」
車の軽い振動の誘う浅い眠りに身を浸していた咲羅は、運転手の声にゆったりと瞼を上げた。
「あぁ」
緩く頭を振り完全に眠りを体から追い出して、体を起こして車の外を見つめる。そうして、咲羅は思わず顔を顰めた。
「……臭いな。ここまで闇の臭いががする。まぁ、空間を閉じただけましか。」
咲羅の言葉に運転手は首をかしげる。
「私にはよく分かりませんが…。」

闇は、独特の臭いを発する。
生ゴミの腐ったような、という類の臭さではない。どこか甘ったるく、それゆえの腐臭を感じずにはいられないような臭いだ。背徳的なその臭いは、人によっては、ひどく誘惑的に思えるに違いない。もちろん、通常の精神状態の何も訓練を受けていない人間には気が付けようはずもないが。

「あっ、あれです。」
運転手の声につられて、咲羅は顔を上げた。普通の人には分からないだろうが、確かに少し向こうに空間の歪みが見える。空間の隔離のために生じたものだろう。
その空間を睨みつけていた咲羅はふと、手前に見える木に気がついて、眉を寄せた。
「あの林みたいなのは?」
ふいに問われた運転手は、わずかにそちらに視線を走らせて、あぁ、と頷く。
「神社ですよ。楠木が御神木なんです。確か、樹齢千年ぐらいだったと思いますよ。」
「楠、か。」
なにか気になることがあるのか、咲羅は腕を組んで考え込んだ。


「咲羅様、着きました。」
人気のない公道を走っていた車は、鮮やかなハンドルさばきで学校の前にある小さな本屋の駐車場へと滑り込む。車が完全に止まったのを感じてから、咲羅は車から降りた。
すると、それを見た北高の周りを取り囲んでいた自衛隊員の一人が忌々しそうに駆け寄ってくる。
ちらりと、学校を囲んでいる人々の顔を見ると、みんな苛立っているのが分かる。
見つかってもいない不発弾の処理の為に連れ出されて、しかも今度は訳も知らされずに突然締め出されたのだから、仕方ないかもしれない。幾ら命令厳守の軍人だとは言え、理不尽な命令に腹を立てるだろう。それに、いくら空間を隔離しているとはいえ、これだけ近くにいれば、その影響も受ける。

「おい、立ち入り禁止の札が見えなかったか?」
「…いや、そこにあったやつだろ?」
学校のほうへと体を向けた咲羅は自衛隊員の方を見もせずに答える。はなから相手にする気がないのだ。第一、相手にしている場合でもない。
だが、咲羅のそんな事情など知らない彼は、自分がないがしろにされていることには、気が付いて、ピクリと眉を跳ね上げた。そして、前触れもなく突然咲羅の襟を掴み上げる。
「おいっ、こっちをみたらどうなんだよ。」
今にも体が浮きそうなほど掴み上げ、至近距離で大声で怒鳴りつけられた咲羅は忌まわしそうに手を振り払いのけた。
「今は、忙しいんだ」
低い、抑揚のない声でそう呟いて、同時に両手を相手に向ける。
自衛隊員の目に濃い桜型のあざが映った。
突然の咲羅の行動に一瞬面食らった自衛官は、すぐにそれの意味することを気付き息を止める。そんな相手を無視して、この辺り一帯に響く、よく通る声で名前を告げた。
「桜護りの当主の咲羅です。通らしてもらいます。」
その台詞を聞き、そこにいたすべての自衛官は慌てて、最敬礼を取る。

両の手のひらの桜。

それはこの日の本の国を護ってきた一族の当主の証。それを有する者の命令はすべての上に位置づけられている。自衛官になったその瞬間から、その証の意味する重さについては、叩き込まれていた。

「失礼しました!」
敬礼している自衛隊員の間を咲羅は平然と歩き抜ける。校舎の入り口には分家の代表が迎えに来ており、先程の騒ぎを知って いるのか、いないのか、特に何も言わずに挨拶を述べた。
「遠いところわざわざありがとうございます。私が愛媛の分家頭の鴻野上です。よろしくおねがいします。」
鴻野上の言葉に咲羅はうなずく。
「あぁ。…で、桜はこの奥か?」
「はい、こちらです。」
鴻野上が案内するように前に立って、歩き始めた。咲羅がそれに続き、後には呆然とした自衛隊員が残される。
完全に姿が見えなくなると誰ともなくため息をついた。
「あれが、日本で一番の権限を持つ人間か。」
呟かれた言葉は、そのまま地面へと落ちて、小さく砕け散った。



一歩結界の中に入るとむっとした臭気が咲羅の鼻をついた。あたり一面に耐えられないほどの闇の気配がたちこめている。
思わず眉を顰めた咲羅に鴻野上は、後から付き添いながら、現在の状況を伝える。
「桜護りの人間でも耐えられない者がでてきています。結界も先程までは五人で支えていたのですが…。」
一人倒れたのだという。
咲羅はその言葉で納得して、小さく頷いた。
愛媛にはもともと強固な結界が張られている。言わずと知れた空海が張ったものだ。そのおかげで桜護りの結界も通常よりも数倍の威力を発揮できる。例え、小さなものであっても、相乗効果で効力だけは桁外れに上がるのだ。
それにもかかわらず外に闇の気配が流出している。だから、ここに張られている結界の弱さにおかしいと思ったのだ。が、それも始めは五人で支えるものとして張ったのだったらわかる。
人が一人欠けたことで不安定になっているのだろう。

もともと五人で支える為に立てられた結界は、五人で支えるように出来ている。だから、一人でも人数を欠けば、どうしても根幹が揺らいでしまうのだ。よほど、力のある者が参加していない限り。

「なら、あまり時間がないな。…あれか?」
闇が濃くなるほうへと歩を進めていた咲羅はふと足を止め、中庭の赤い花を付けた彼岸桜の一本を指差した。
彼岸桜はその名前の通り、春の彼岸のころ、一般的な桜であるソメイヨシノよりも一歩早く花を付ける。その満開の桜は、ただでさえ赤い花びらをさらに毒々しいほどに赤くして、白い校舎を赤に染めている。
「確かに、ひどいな。」
咲羅は闇を刺激しないように慎重に桜に近づき、軽く幹に触れた。その途端に、桜の幹中に広がっていた闇の気配にくっと眉根を寄せる。
「当主?大丈夫ですか?
自分たちには触れることも出来なかった桜の幹に手を触れて、少し苦しそうに息を乱した咲羅に、鴻野上は心配げに声を上げる。
だが、その心配に答えることなく、咲羅は鴻野上の名を呼んだ。
「鴻野上さん、全員学校の外に出してください。結界を張りなおします。でないと、もうもたない。」
「しかし…、当主一人で…。」
五人がかりでももたなかった結界なのだ。力が自分たちよりは強いとは言え、実際に見たことのない彼はそれがどの程度のものなのか、想像もつかず、思わず反駁する。
けれども咲羅はそれに答えるだけの余裕もない。言葉を遮るように口を開く。
「大丈夫だから急いでくれ。」
「はっ、はい。」
苦しそうな咲羅の声に自分達が逆に負担になっているのだと気が付いて、鴻野上は返事をするとともに体を翻した。鴻野上が駆けていくが静かな敷地内に響く。
その音を背で聞き、咲羅は懐から小刀を取り出し、鞘から抜いた。

深く息を吸い込み、おもむろに小刀を地面につきたてる。すると、闇の抵抗が振動として、刀を通して伝わってくる。
咲羅は奥歯を噛み締め、それをやり過ごすと、そのまま力を込めて、刃を半分ほどまで埋めた。
そしてようやっと、軽く息をつき、柄から手を離し、その前に膝を組んで座った。
深呼吸をして息を整える。

「桜護りの守護“桜”、この刀を媒介にして、この地を護りたまえ。
“桜”の守護を受ける者、咲羅の名の元に命じる。」

咲羅が言葉を紡ぎ終わると刀の根元から光が弾けた。
それはあっと言う間に大きくなり学校を覆う。キーンという音が辺り一面に響く。そしてそれと共に今までとは比べ物にはならない程の負荷がかかってきた。咲羅は膝の上で組んだ手を固く握り締める。そうでもしていないと、逆に闇へと引きずられてしまいそうだ。
それをやり過ごして、わずかに息を吐いたまさにその時、嫌な感触が背骨を駆け上った。
固く噛み締めた咲羅の口から声が漏れる。

そして次の瞬間、視界の端が白く光るのと同時に咲羅は意識が飛ぶのを感じた。




第二話第四話




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