泡沫の恋 《3》
車のライトがチカチカ点滅する。
真っ直ぐにのびた遊歩道を横目にひた走る車の窓からは、いくらか薄ぼんやりと欠けていく月が見えた。
4月下旬の春風は今日は幾分冷たい。桜が薄暗い空気の中で寒々とざわめいていた。
時刻は7時を少し回った頃である。
大学で直江につき合って欲しいと頼まれた時は一体どこへ行くのだと思っていたのだが、直江は意外にも夕食に誘ってきただけだった。
他に目的を聞いても、あなたと食事がしたかっただけだと笑顔で答えてくる。どうも調子が狂ってしまった高耶である。
直江が高耶を連れて訪れたのは、これまた意外にも中華の店だった。
「中華は苦手でしたか?」
高耶が驚いた顔をしていると、直江が心配気に覗き込んでくる。
「いや、好きだけど」
「フランス料理とかの方が良かったですか」
苦笑顔でそう言った直江に、高耶は少々ムッとして、
「オレがそんなカタイ店好きなように見える?」
「そう思って中華にしたんですよ。近くに和食の店もありますが、どちらがいいですか」
「・・・ここでいい」
ぶっきらぼうにそう言って、高耶は自分から店の扉を開けた。
本格中華料理なんて食べたことがなかったので嬉しいといえば嬉しい(相手によるが)。
何より直江のおごりだと言うのだから素直に食べないと損である。貧乏学生の高耶には願ってもない話なのだ。
店員に4人掛けのテーブルに案内されて席に着き、適当に注文を済ませると、高耶は改めて目の前に座る男をジッと見つめた。
直江は端正に整った顔立ちをしている。見るからに大人の男といった感じの風体に、深い包容力のようなものを感じさせる。背丈の割に威圧感が全くないのは物腰が穏やかなせいだろうか。相手を安堵させる空気を醸す男である。
直江にはこういう店よりもホテルのラウンジか洒落たバーが似合いそうだ。派手な女とのツーショットなんてハマりすぎるくらいハマるだろう。
この男が美弥を襲う、なんて確かに考えにくい。冷静に考えてみると、千秋の言うことももっともだし理解出来る。確証がないことも分かっているのだ。
(だけど・・・)
「高耶さん・・・?どうかしましたか」
見つめすぎたのか、直江が怪訝そうにこちらを見ている。高耶は慌てて視線を逸らした。
「・・・なんかさ、こういうふうに誰かと食事すんのって久しぶりだとか思ってさ」
場を繕うために適当に言葉を並べる。実際言ったことには嘘はなかったのだが。
直江は薄く目を細めると、静かに問うてきた。
「高耶さんはひとり暮らしなんですか?」
「あー・・・、いや、妹とふたり」
「ふたり?ご両親は」
「・・・・・・4年前、事故で・・・そのまま」
「!」
直江が目に見えて驚いた顔をした。それからすまなそうに顔を伏せ、
「すみません。不謹慎でした」
「べつに・・・。気にしてねーよ」
はにかんだ笑みを見せ、高耶は気づかれないよう、直江の表情を盗み見た。どこをどう見ても優しげな紳士のそれだ。腹が立つほど内面を上手に隠せる人種のようで、外見からはその心内を窺い知ることは困難だと判る。
一呼吸置いて、高耶はさぐりを入れるように言ってみた。
「妹さ、美弥っていうんだけどオレに似ないですっごい可愛いんだぜ。いま高校生なんだけどスれたとこもないし。贅沢も言わないし」
「自慢の妹さんなんですね」
「ああ。すっごく大事な妹でたった一人の家族だ」
ゆっくり、自分にも再確認するように告げる。直江は真剣に受け止めてくれているのか、そうですか、と頷いてる。それを見てなんだか力が抜けた高耶だ。
(やっぱりこんなんじゃ無駄か・・・)
直江が犯人だとしてもまさか自分が美弥の兄だとは夢にも思わないだろう。そんな相手に美弥のことを匂わせても無駄だ。 高耶は諦めて別の話題に移った。
「直江・・・先生」
「大学以外は直江で結構ですよ」
苦笑されてハタ、と気づいた。そういえば敬語もいつの間にかすっぱり飛んでいる。今更と言えば今更か。
「・・・じゃあ、直江。ずっと聴きたかったこと聴いてもいいか?」
「なんですか?」
「あんたって、女好きだよな?」
「は?」
直江の目が思わず点になる。
「大学でもどこでも女侍らせて遊び歩いてるって」
「・・・・・・誰に聴いたんですかそんなこと」
額を押さえて直江は頭痛を堪えた。それに高耶はあっけらかんと答えた。
「有名だろ?みんな知ってるぜ」
「・・・・・・・・・」
遊び歩くといっても若い青年の女遊びとはまた違って、キッパリと割り切った男女の仲なんだろうとは何となく想像できる。そういう意味での女に対するだらしなさは千秋からよく聞かされた。
「直江先生は女の扱いが上手い遊び人。浅岡教授の娘の婚約者までいて近い将来教授の席を約束された優秀な助教授」
「・・・なにが言いたいんですか」
幾分不機嫌になった直江を上目遣いに見上げ、高耶は疑問たっぷりに言った。
「そんなあんたが、なんでオレなんかとつき合う気になったんだ?オレは男なんだぜ?他人にバレたらそれこそ何言われるか分かり切ってるだろ?オレのことは遊びだったで通る世界じゃないんじゃないのか?婚約解消になってもいいのかよ。出世だって」
「そんなことはあなたには関係のないことですよ」
「!」
急に強い声音で遮られ、高耶は驚いて顔を上げた。
「他人にバレようが知ったことじゃない。出世なんて興味ない。それに私はあなたと遊びでつき合うつもりは更々ありませんよ」
「直江・・・」
直江の表情は先程に比べると幾らか固くなっている。僅かに眉間に皺が寄っていた。
怒ったんだろうか。
「実際、婚約のことにしても・・・。本当のことをいうと面倒なんです」
「面倒?」
「ええ。当人同士の意志を無視した親が勝手に決めた縁談話です。私の意見はまるで聞いちゃくれない。こっちもね、好きで婚約した訳じゃないんですよ。はっきり言って面倒以外の何者でもない」
「・・・・・・・・・」
「お待たせ致しました」
張りつめた場をいきなり店員の明るい声が打ち破った。
高耶はハッとして、机の上に乗せていた手を引っ込める。何となく気まずい雰囲気を感じて視線をあわせられなくて、並べられていく中華料理を眺めた。
(びっくりした・・・)
まさか直江の口からそんなことを聞くなんて。
意外だった。驚いた。
どうやらこの話は禁句らしい。
目の前に置かれた中華蒸籠の蓋を開けると、美味そうな匂いが広がって鼻孔を擽った。同時にぐう、と腹が鳴る。
それを聞いた直江は苦笑して、また先ほどの笑顔を表情に浮かべた。
「そんな話よりも今は食事が先ですよね。いただきましょうか」


     ◆◇◆◇


軽い振動とエンジン音に耳を傾けていると、だんだんと睡魔が襲ってくる。
夕食を食べお腹が満たされたせいもあり、心地よいシートに身体を預けていると、気を抜くとこのまま眠ってしまいそうだ。
おごってもらった中華料理は思っていた以上に美味しかった。とくに小龍包は絶品で、高耶は2回もおかわりしてしまった。
食事中他に好きな食べ物は無いかと聞かれたので、魚料理だと答えると、直江は「じゃあ今度は和食ですね」と言って微笑した。「今度」という言葉に次の約束を確実にする響きを感じ取った高耶は、なんだか複雑な気持ちになった。
確実に直江を騙している自分が、複雑な気持ちにさせた。


「あ、ここでいい」
自宅からほど近い公園のそばまで来たとき、眠気と闘っていた高耶は重い瞼を開け、シートに預けていた身体を起こした。
「どうせだから自宅まで送りますよ」
「いい。まだ時間も早いし」
そう言って高耶がシートベルトを外し始めたので、直江は仕方なく車を公園脇に止めた。
正直言うと、断ったのは直江を美弥と鉢合わせさせるかもしれないという危惧があったからだ。
それだけは絶対に避けたかった。
「今日はサンキュ。メシ美味かった」
「気に入っていただけて良かったですよ。なんと言っても初デートですからね」
「デ・・・っ!・・・バカなこと言うな!」
デートは勘弁してほしい。ちょっと本気で鳥肌が立った高耶だ。
「では気をつけて帰ってください」
「気をつけるもなにも、すぐそこだって」
「それでもです」
直江は終始笑顔のままだ。子供扱いされているようで、居心地が悪いったらない。ついでに女扱いもごめんだった。
そういえば何歳離れているんだろう。30は越えてそうだが・・・。
(・・・今度でいっか)
「じゃあな」
「ええ。また明日大学で」
車から降りて、高耶はふと、考え込むようにその場に佇んだ。
立ち去らない高耶を変に思って直江がどうしたのかと尋ねてくる。
「高耶さん?」
「・・・・・・直江」
「はい?」
高耶は再び片足だけシートに乗り上げ、直江をのぞき込むような体勢をとった。
驚いた直江が目を見開く。
「おまえさ、オレのこと遊びでつき合う気ないって言ったよな?」
「・・・はい。確かに」
「それって他の女とはもうつき合わないって意味?」
「高耶さん・・・」
半ば呆れたように直江が吐息した。何を今さら、と言いたげだ。
だが高耶は敢えて続けた。
「オレが遊びじゃなくって、女が遊びってことでもないんだよな?」
「当たり前です」
直江はきっぱりと否定した。
「今はあなただけですよ。女はもう、いいんです」
「・・・もういいって、もう飽きたから男のオレに乗り換えるってこと?」
「・・・高耶さん。怒りますよ」
「それっておまえはバイじゃないってことだよな?」
「当然でしょう」
直江は高耶の両肩に手を乗せ、真摯に視線を合わせた。まっすぐに見つめてくる高耶を瞬間、愛おしいと感じた。
「私はあなただから惹かれたんですよ。男とか女とか関係ない。あなただから言うんです。私はあなたが、好きなのだと」
「え」
「今はっきりと判りました。高耶さん。あなたが、好きですよ」
「 ―――― 」

見開いた瞳の奥でなにかがあふれ出した。
警鐘音だと高耶は思った。
振り切るようにして、走り出す。
背後から名を呼ばれたが振り返らなかった。
冷たい春風に乗って桜の花びらが頬をかすめる。

遠くで走り去る車の排気音が聞こえて、高耶は振り返った。
暗闇の中にウィンダムが消えていく。
警鐘音はいつの間にか消え去っていた。
かわりに鼓動が悲鳴のような音を立てる。苦しいくらいに。
高耶は空を見上げた。目を閉じた。
鼓動が激しく波打っている。

苦しいくらいに――― 、激しい罪悪感と共に。




『泡沫の恋』《3》  END

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