泡沫の恋 《2》
直江はひどく驚いた様子で目を見張っていた。
息を止めたまま身動きさえしない。完全に固まってしまっている。
無理もない。生徒の、しかも男に愛の告白されたのだ。
驚愕を顔面に張り付けたかのような様子に高耶は内心ほくそ笑んだ。
直江は食い入るように見つめてくる。その視線は不躾と感じる程だ。高耶は些か忌々しさが込み上げたが、目的遂行のため無理矢理押さえ込み、
「いきなりこんなこと言ってすみません。けど・・・、オレどうしてもこの気持ちを抑えることができなくて」
「・・・・・・」
「最初は遠くで先生を見ていられるだけで良かったんです。それだけで嬉しかったし、それだけで満足だった。
でも気持ちはどんどん膨らんでって」
高耶はでまかせが簡単について出る自分の口に感心する。気持ちが籠もっていない告白なんて何の勇気もいらない。むしろ冷静に己の台詞を客観視することが出来る。
「男のオレがこんなこと言うの場違いだって分かってる。
 先生は女の人にモテモテだし、婚約者がいるってことも聞いたけど・・・。でも」
「でも?」
不意に黙っていた直江が問い返してきた。こちらが怪訝に思うほど低い声音だった。
「でも、何ですか?」
「・・・・・・」
深い鳶色の瞳が真剣にこちらを見返す。高耶は一瞬目を見開いた。
(なんだ・・・・・・?)
吸い込まれそうな眼だ。何か別の意志を感じる。だがそれが何なのかは判らない。
「・・・でも・・・、先生が好きなんです。オレと付き合ってくれませんか?」
高耶は不可思議な感覚の中で、それでも用意した言葉を言い切った。
予定ではこの後気持ち悪がった直江にこっぴどくフラれるつもりでいる(普通の男の感覚では当然だが)。だがそれでも諦めない健気さを見せつけ、直江の同情を買ってから(この男が情けを掛けるかは疑問だが)印象付けさせ、婚約者とやらの前で無理矢理派手にこの男はオレのもの発言――いわゆるホモ宣言をし、裏切られたと思った相手の女に直江をこれまたこっぴどくフラせてやるのだ。晴れて二人の仲は破局。直江の更なる輝かしい出世と可愛い婚約者との新婚生活はオジャンとなる。この男を失意のどん底に突き落とす。完璧な嫌がらせ作戦だ。・・・という無茶なこれは千秋が立てた計画だった。
高耶は多大な疑問を持ちつつも、他に二人を裂く手段が思いつかなかったので、これに賭けてみることにしたのだ。
高耶はなかなか答えない直江を上目遣いに伺い見る。
なにを考えているのか、直江はじっとしたままゆうに五分は動かなかった。
いい加減焦れた高耶が言葉を発しようとした時、漸く直江が口を開いた。
その台詞に高耶はまんまるに目を剥いた。
直江はひどく真摯な表情でこう言ったのだ。
「いいですよ。それではお付き合いしましょうか」
「な・・・・・・?」
これっぽっちも想像していなかった展開に呆気にとられる高耶に気付いているのかいないのか、直江は穏やかな笑みさえ浮かべ、
「仰木くんといいましたか。下の名前はなんていうんですか?」
「え・・・あ、高耶」
「たかや・・・いい名前ですね」
にっこり微笑まれて、どうしたらいいのか分からず高耶は激しく混乱した。
この男は一体何を言ってる!?本気でオレと付き合う気なのか?
「では、高耶さん。これからよろしくお願いします」
そう言って差し出された大きな手。高耶は呆然とそれを見つめた。
「本気・・・なのか・・・?」
俄かには信じられない。この男は自分たちが男同士だと分かっているのか?それとも単にからかってるのか。まさか、同性愛者だとでも?いつも女との噂が絶えないというあの直江が?
「もちろん本気ですよ」
恐る恐る訊いた問いは即座に返された。
「私は興味を惹かれない相手に付き合いをOKすることなんてありません。
 あなたは私の関心を惹くに十分値する」
「・・・興味関心が恋愛と同じだっていうのか」
「始まりがどうであれ、気持ちが向けばどんな色にでも変化するものですよ。
 今から辿り着く先の結果なんて考えたって仕方ないでしょう?
 興味関心だったものが、明日には恋に変わっているかもしれない」
「馬鹿な」
「高耶さん・・・。私のことが信じられない?」
「・・・・・・」
「それは私達が男同士だからですか」
当たり前だ!と叫びそうになるのを寸前で堪える。この男の理論はどこかがおかしい。世間一般的にズレてる間違っている。そう思うが、告白したのはこちらの方なのだ。高耶はそう言われて喜ぶ立場にあるはずだった。
「おかしいって・・・言わないのか。気持ち悪い、変態だって。そう思わないのか?」
「気持ち悪い?あなたが?まさか。そんなこと思うはずないでしょう」
「なんで!」
「なんでって・・・」
「あんた婚約者いるんだろ!オレなんかと付き合っていいはずねーじゃねーか!」
正論だ。そう、まったくの正論――。
「ああ、そんなこと・・・。いいんですよ、あなたが気にすることじゃありません」
「そんなことって・・・ッ」
「それにあなただって、そう分かっていて告白したのでしょう?」
直江の言葉に高耶はぐっと詰まった。でもこんなにあっさり受け入れられても困る。
すると直江は時間を気にするように腕時計を見やった。
「ああ、申し訳ないですが、これから急ぎの用があるので、今日はこれで」
急にそう言って会話を無理矢理終了させると、直江は慌しく車に乗り込んでしまった。
そして窓越しにこちらに笑みを寄越し、そのまま颯爽と走り去ってしまう。
残された高耶は呆然と立ち尽くすしか術がない。
憎しみでいっぱいで報復の対象のはずの男とオレが付き合う?
「なんの冗談だ・・・」
自分で仕掛けたこととはいえ、あまりの不自然さに笑うことも出来なかった。
いったいあの男は何を考えているのだろう。
(・・・だけど)
これで確実に距離は縮まった。こんなに簡単にコトが進むとは思ってもみなかったが、チャンスには変わりない。
高耶の双眸が一気に力を取り戻す。
(今に見てろよ、直江・・・!)
強く握った手のひらは、緊張のせいかうっすらと汗が滲んでいた。


                 ◆◇◆◇


「なっにィ〜!?」
思い切り眉間に皺を寄せた千秋は、勢い余って手に持っていたあんぱんを握り潰しかけた。
ぶちゅうっとあんこが外に飛び出てきたが、そんなことには構っていられない。
「直江とつき合うことになっただと?いったいぜんたいどうなってそういうことになったんだァ?」
興味深々といった感じで顔を覗いてこられて、高耶は嫌そうに千秋の身体を押し退けると、飲みかけの生茶のペットボトルを千秋の眼前に突きつけた。
「そんなことはオレが聞きたい。だいたいおまえの計画通りに演技したのに何だってこんな展開になるんだよ!」
「んなこと知るか。おっさんに聞けよ。・・・しかしおまえ、どんなテを使ってヤツを誘惑したんだ?」
片手で突きつけられたペットボトルを退かしながら、千秋は心底不思議そうな声を出す。
「はあ?変なこと言うな。
 オレはただおまえに言われた通りに告白したら、何考えてんのか知んねーけど向こうはOKしやがったんだよ」
「だって信じられねーぜ。あんなに常に女侍らせてた男がおまえとつき合うって?とうとう女に飽きて宗旨替えか?」
「・・・知るか」
高耶は不機嫌そうにぐしゃぐしゃとコンビニおにぎりの袋を手で丸めながら、千秋の持っていた昼飯の入ったビニール袋を漁り、クリームパンを発見すると勝手に封を破いた。
そして大きな口を開けてかぶりつこうとしたが、瞬間強烈なデコピンが飛んできた。
「っってーーな!なにしやがるっ!」
「人のメシ勝手に食ってんじゃねーよ」
「まだ食ってねーだろ!」
「で?」
涙目になり額を押さえて睨む高耶に、パンを取り返した千秋はマイペースに問うてきた。
「おまえはどうすんだ?このまま本当にあいつを落とせりゃこれ程都合のいい話はないぜ。
この調子で予定通りに行動すんのか?」
どこか楽しんでいる感じが拭えない千秋に憮然としながらも、高耶はハッキリ答えた。
「当然だろ。あいつが変態だろうと遊びだろうと、そんなことはどうでもいい。
要はどれ程のダメージを与えてやれるかだ。酷ければ酷いほどいい。
もちろんこんなことくらいじゃまだまだし足りねーけどな」
悪魔的に高耶は笑む。楽しげなのはもしかしたら高耶の方なのかもしれない。
報復の第一歩。そう思うと暗い期待感で胸が躍り出しそうだ。
たとえどんな手段を用いたとしても。
「・・・・・・そうかい。ま、目的達成のためにせいぜい頑張んな」
千秋は片手をひらひら振ってその場にごろんと寝っ転がった。
昼時の青空の下、手入れされている中庭の芝生に転がるのは気持ちいい。
どうやら千秋はここで昼寝をすると決めたらしく、眼鏡を外すと腕を日よけにして目を閉じてしまった。
高耶は次の授業の時間が迫っているため、急いで葉っぱを払って立ち上がる。
「じゃあな」
聞こえているのかは疑問だったが、そう言い残して高耶は小走りに駆けていった。
穏やかな春の日差しが降り注ぐ。どこからか漂ってきた桜の甘い香りが悪戯に鼻孔を擽った。
そういえば花見をするのをすっかり忘れていたなぁ、なんてぼんやり考えながら、千秋は去っていく高耶の足音に耳を傾ける。そしてぼそりと呟いた。
「・・・痛い目みなきゃいいけどな」
かたく目蓋を伏せると、急速に睡魔が襲ってきた。


                  ◇◆◇◆


翌日高耶はいつも通りに授業を受け終え、帰ろうと早々に席を立った時だった。
偶然講義中隣の席に座っていた青年がこちらに近寄ってきて、話しかけてきたのだ。
「仰木!」
「え」
普段全くまわりに無関心な高耶は、当然他人とのコミ二ケーションも乏しい。なのでいきなり話しかけられ、自分の名前を呼ばれて、驚いた。
だがこっちは相手の顔に見覚えはあっても名前までは知らない。高耶は首を傾げ、
「えっと・・・」
「あ、俺遠藤ってんだ。お前、仰木でいいんだよな?」
「ああ」
遠藤と名乗った青年は気さくな笑顔を向けて、くいっと出入り口を指さした。
「お前に御指名。かかってんぞ」
「え?」
言われてドアに目を遣ると、微かに佇む人影が見えた。どうやら自分を待っているらしいと分かる。
遠藤はニヤニヤしながら言ってきた。
「喜べよ〜。なんと直江先生だぜ」
「!」
「お前なんか悪いことでもしたのか?あの先生結構誰にでも優しいのにな〜」
どうやら説教されるのだと思いこんでいるらしい遠藤を無視して、高耶は鞄を取り急いでドアに駆け寄った。
半分開け放たれている扉の左側の壁に凭れるような形で、直江はいた。
「仰木くん」
教室から出てきた高耶を見ると、直江は穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・なにしてんの、先生」
驚き半分、戸惑い半分で、高耶は怒ったような顔で直江を見上げる。この男は高耶よりも頭ひとつ分背が高いので、自然見上げるような形となってしまうのが何となく悔しい。
「なんか用?」
「あなたを待ってたんですよ。今日の授業はもうこれで終わりでしょう?」
「そうだけど?」
「これから何か予定は?」
「・・・ないけど。なに?」
「だったら、このあと少し私につき合ってくれませんか」
にっこり微笑む直江に高耶はあからさまに怪訝な目を向けた。なんでオレに?と思ったが、そういえば、とハッとする。
(オレ、昨日からこいつとつき合ってるんだった・・・)
もう、前のようなお互い知らないままの関係ではない。目的のためにも、いられない。
どんな滑稽な役でも演じきって、直江に情を植え付けなければ始まらないのだ。
この男を・・・落としてみせる。
高耶はキツイ眼を上げ、コクリと頷いた。



『泡沫の恋』《2》  END

next:『泡沫の恋』《3》

客室に戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送