「ねえ、知っている?桜の下には人の死体がうまっているんだって。」

そんな事を言ったのは誰だったのか。
皆が知っている昔語り。
けれどまた、皆が事実でないと知っている迷信。

それでも思わずにはいられない。

――もしこれが事実なら――

もしこれが事実なのだとしたら、桜の下には桜護りの死体で溢れていることだろう。



 ――第一話――



 「山神、山神!聞いているのか?」
教室中に教師の怒声が響く。
すでに数度に渡って注意をされているが、その一度として、返事を返されていない。
今にも切れそうな教師にクラスメイト達は気が気でない様子で、教師と名を呼ばれている生徒とを見守っている。しかし、当の本人はというと、教室中に響き渡る声も耳に届いていないのかそれとも聞く気がないのか、窓の外に視線を向けるのみだ。何もないようにしか見えない窓の向こうに何を見ているのか、その眼は真剣な光を宿している。

いくら呼んでも見向きもしない生徒にとうとう切れた教師はつかつかと歩み寄り机を叩きつけた。
 「山神、返事ぐらいしたらどうだ?」
  怒りを隠そうともせずに教師は低く声を掛ける。
するとその声に反応して、そのときになってやっと気付いたかのように山神咲羅は教師の方を向いた。その瞳には反省の色もなければ、叱られたことにたいする苛立ちも、何の感情もない。
 「すみません、聞いていませんでした。」
それでも、教師の怒りは理解しているようで、社交辞令のように咲羅は何の感情も込めずに謝る。こんなに素直に謝罪の言葉を向けられるとは思っていなかった教師は一瞬拍子抜けし、しかしすぐにその瞳に何も浮かんでいないことを読み取って、再び怒りを蘇らせた。
今までもその特殊な存在ゆえに扱いにくい存在ではあった。そうしてその事を面白く思っていない自分にも気付いていた。しかし、この学校で教師を続けるには山神咲羅に関しては何があっても目を瞑らなくてはいけない。その葛藤がここにきて、爆発したのだ。
湧き上がる怒りに身を任せて、さらに怒鳴ろうと息を吸い込んだ時、まるで狙ったかのように呼び出しの放送が入った。

――授業中失礼します。山神咲羅君、至急職員室に来て下さい。
       繰り返します、山神君は至急、職員室に来て下さい――

突然の放送に教室が静まり返る。その中、咲羅は手早く帰り支度を整えると席を立った。
 「先生、帰らなくてはいけなくなったので、そこをどいていただけますか?」
先ほどと同様に感情のこもっていない言葉なのに、有無を言わせない強さに押され、教師は無意識に頷き、体をずらす。
 「では、失礼します」
教師が正気を取り戻した時には咲羅はすでに教室におらず、怒りの向け所をなくした教師と、いまいち状況が判断しきれていない生徒達だけが、教室には残された。


そんな教室の中の様子には全く興味のない咲羅は教室を出るとすぐに職員室とは逆方向の昇降口に向かった。そして、そのまま裏門へと足を運ぶ。
先ほどの放送は全くの嘘の放送なのだ。職員室には咲羅に用事のある人間はいない。あれは学校を抜け出す為の表向きの理由なのだ。そのことを教師たちもよく知っているから咲羅が廊下を歩いていてもとがめるような人間はいない。
咲羅が裏門に姿を現すと、待っていたかのように一台の黒塗りのセンチュリーが止まる。そして、咲羅が乗り込むと車は音もなくすぐに出発した。
 「咲羅様、桜園と本家とどちらに車をつけましょうか?」
 「桜園の方につけてくれ。」
運転手の問いにすこしの逡巡もなく、咲羅は応える。
ミラー越しに合っていた目がそらされ、運転手は了解しましたと告げ、アクセルを軽く踏み込んだ。心地よい重力を感じならがらも、咲羅はため息をついた。





日本には「桜護り」と呼ばれる一族がいる。
彼らの存在は一部の人間のみしか知らされていないが、たしかに古代から彼等は存在していた。
そんな彼等「桜護り」に課せられているのは、闇と光の均衡を護る事。
闇を闇として存在させ、光の光としての尊厳を奪わないこと。
「桜護り」という名の由来は、彼等の仕事と桜の特異な性質にある。
桜は古来現世と闇の世界との境界であった。
闇の領分と光の領分、その境目に立つもの。
桜護りは、何かと人間界の毒気に惹かれ、多くなってしまう闇を己の世界へと追い返してきた。
それは人の為でもなく、ただ、この世の均衡を護るため。

そして、今現在の当主が、――咲羅――。

歴代の当主の中でもトップレベルの桜の守護を持つ者。





桜園着いた咲羅は、他のものに目をやることもなくまっすぐに奥にある神木へと向かった。咲羅の到着に桜園の桜たちは嬉しそうに歌うが、今はそれに応えている余裕はない。
そのまま五分程歩くと咲羅の視界が突然桜色に染まった。まだ三月の頭だというのに中央に立っている一本の桜だけ満開なのだ。かといってべつにこの桜が早咲きなのではなく、一年中この木だけは花を付けている。ほんの一時として、桜の花がその枝から消えることはない。
咲羅が木の根元まで歩いていくと突如地面から風が吹き上げた。それに巻き上げられて、桜吹雪が起きる。どこを見ても淡い桃色をした桜の花びら。その幻想的な風景に一種の安堵感を抱きながらも咲羅はこの桜吹雪がやむのを待った。
そして、一面の桜が途切れると、先程まで誰もいなかった空間に時代遅れな格好をした少女が現れた。薄い桜色の着物を彼女はまとっていて、小学校の中ごろの子供にしか見えないその風体を裏切り、その表情は人間らしからぬ、どこまでも澄んだものだ。しかし咲羅は突然現れたその少女に特に驚いた様子もなく、あたりまえのように話し掛けた。
“桜”と咲羅は特別な音を込めて彼女を呼ぶ。
その名の示すとおり彼女はこの神木に宿る者だ。

 「“桜”、愛媛の桜護りの者には押さえられなかったみたいだ。」
咲羅は苦しそうに“桜”に告げる。
これがさっき授業中に見ていたことなのだ。
「さっき、急に闇が濃くなった。…誰か、犠牲になったかもしれない…。」
今までも多くの犠牲者を見てきた。そのほとんどは自ら危険を冒したものだったが、かといってそれらのものを見捨て、当然だと言い捨てるだけの強さはもてない。
己の力のなさにやるせなさを感じる。
自分ひとりで日本を守っているとは思っていない。多くの仲間、それぞれの地域に根を張っている桜護りたちの力あって、ようやっと守っている。それでも彼等と自分とではこの身に有する力の大きさが全く違っているのも事実だ。だからこそ、もっと、今よりも強くあらなければといつも思う。
きつく拳をにぎり、自分ではない何かをにらみつけるようにして立つ咲羅を“桜”は辛そうにいたわりの色を込めて見つめた。
 『…咲羅。大丈夫よ』
“桜”の声には不思議な響きがある。聞いている者の心を癒す力。
 『まだ、誰も犠牲にはなってないわ。誰も命を落としてはいない』
だから、落ち込まないでとは言えない。それは気休めにしかならないだろうから。そんなものを彼が望んでいないことを彼女はよく知っていた。
 『私が、そして愛媛の桜護りたちが押さえていられるのもあと少し。時間がないわ。急いで。
  咲羅、私の愛しい咲羅。
  気をつけて、学校はいろいろな感情が集まる所だから。』
歌うような“桜”の声が木々の間を反響し、やがて空気に吸い込まれていった。


第二話




background by :: La Boheme
   
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送