月夜の涙 〜drop of moon night〜 ー序ー 「歌声?」 知り合いが事故にあい、入院したと聞いたのは昨夜遅くの事だった。 幸い怪我は足の骨折のみという命には別状のないものだったが、長い間世話になっている相手なだけに不義理を通すわけにもいかず、男はこうやって、朝一番に見舞いに訪れていた。 そんな、見舞い先の病院の中庭で、ふと歌声が聞こえたような気がして、男は足を止めた。 聞こえてくるかこないかの、かすかな歌声。 それでも、風に乗り空気に溶け込むようにして、確かに聞こえてくる。 耳を澄まし、一歩、また一歩と歩を進め、次第に歌声が鮮明になってきた。それと共に、一つのリズムだったものが意味を持った歌へと変わっていく。 歌っているのは、誰でも一度は耳にしたことがあるような童謡。 高く、低く、強く、弱く、耳を包む柔らかな声色で歌え上げられていく。 声の主は若い青年のようだ。 やがて、辿り着いた先は個室ばかりが集まっている病棟だった。 下から窓を見上げ、声がしているのは二階だと見当をつける。 わずかに開けられている窓から歌声だけが漏れ聞こえていた。 荒削りだが、聞いているものをひきつけずにはいられない声。 ざわり・・・・・・ 背筋が震える。 ずっと求めていた、理想の声。 男はやがて歌声が聞こえなくなっても、ただ病室を見上げていた。 * * * * * * * 今、話題になっているCMがある。 一人の歌手の限定アルバム。 予約を取って、その予約の数だけ作るという完全予約制の限定アルバムのCM。 このCMが話題になっているのは、そのCDの限定性のほかにも理由があった。 それはこの歌手が全くメディアにでないから、だ。 顔も本名も、その他あらゆる個人情報は表に出される事がない。その歌手が始めて、テレビにその姿を現したのだ。 とはいっても、顔は見えないアングルばかりだったが。 それでも、人々は口々に騒がずにいられなかった。 これを期に、もしかしたら彼は表に出てくるかもしれない、と。 ちょうど、デビューから10年。 区切りもいい。 全く姿を出さないというにも関わらずに多い熱狂的なファン達は、ベールに包まれた彼の姿を熱望していた。 CMは、静かな曲調のピアノから始まり、そこに彼の歌声が入ってくる。 それに合わせてのコマ送り写真が流されるのだ。 真っ赤な薔薇の花束がすこし離れた所から斜めのアングルで映されている。 そこへ、一人の男が現れる。 ただ、後ろ姿だけでその顔は全く見えない。 それでも、薄いシャツ越しに男の釣り合いの取れた体のラインがよく分かり、それだけで十分に人目を惹き付けていた。 その男は、ゆったりとした動作で薔薇の花束へと近づいて、花束の中から一本だけ、薔薇を取り出す。 人差し指と中指の間に挟んで薔薇を持ち上げ、匂いをかぐように顔に近づけてから、これみよがしに ぐしゃり と、握りつぶす。 開いた掌から花びらがひらひらと舞う。 まるで血を思わせるような真紅の花びらをカメラは追い、地面に散った花びらに重なるようにして、文字が浮かび上がってくる。 橘 義明 First Albam 『月夜の涙』 :: to be continued ::
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