時折、ふと思う。

あいつの子供時代に行って、そして張り詰めたあいつの心を少しでも癒してやりたいと。

自分は、直江と再会する前も記憶の底に確かに眠っていたあいつの気配に癒されていたけれど、オレ達二人の罪を一人で背負わされたあいつはどうだったのだろう。

多分、癒されるという事自体がなかったのではないだろうか。

だから、オレはせめて幼い直江にわずかなぬくもりだけでも与えてやりたい。

あいつの苦しみを、オレは取り除いてはやれないだろうけれど、それでもほんのひと時の休息を与えてやりたい。


苦しみ、自らを傷つけていたかつての橘義明(なおえ)に・・・





優しい風の集う場所

第一話



「・・・ここどこ?」
家で寝ていたはずなのに、気がついたら外に出て来ていた高耶は呆然とあたりを見回した。どこかの寺の境内のようだが、あいにく家の周りにはこんなに大きな寺はない。見たことがない、きた事はないと思う。だが、微妙に見知った匂いがしているのだ。どっかで偶然見かけたような気がしてくる。なんだか、懐かしい感じ。
自分の心の中に生まれた暖かな感情に高耶は戸惑いを感じずにはいられない。
一体ここはどこなんだろう。
綺麗な石畳に極力自然に近いままで、それでいて綺麗に揃っている木々。あたりを包んでいる静謐な空気。ちょうど人のいない時間なのか、参拝客は見えない。それが余計に、高耶にこの場所が神秘的に見せている。
「あっ、そうか。門に行けば、この寺の名前ぐらいは分かるよな」
寺務所に行くのが一番早い事は分かっているのだが、まさか「ここはどこですか?」なんて、間抜けな質問できるはずがない。いい事を思いついたと、高耶は軽い足取りで門へと向かった。名前が分かっても何も解決しないほうが高いけれど、それでもとりあえず一つ分かれば、後はどうとでもなるだろうと思えてくるから不思議だ。
立派な構えの門をくぐって、くるりと振り返る。そして、堂々と掲げられている文字をゆっくりと目で辿る。
「えっと、真言宗・・・光厳寺かぁ。ふ〜ん。・・・・・・光厳寺?光厳寺って、あの光厳寺かぁ?!直江の実家で、お寺やってるあの光厳寺?」
あまりにも自分の想像からは飛びぬけている名前に高耶の頭はパンク寸前だ。
とにかく、おかしい。
何で、光厳寺にいるんだ?まだ一度も来た事がないのに。
そう思って、慌てて境内に入ってみれば、かつて直江に見せてもらった写真と同じような気がする。いや、絶対に同じだ。
「一体・・・」
東京にいたはずなのに、どうして突然宇都宮にいたりするんだろうか。《力》が使えたり調伏ができたりはするが、自分の能力の中には断じてテレポーション能力なんかない。少なくともこの四百年間、気がついたこともない。寝ている間、夢を見たような気がするが、それが原因だろうか?
幼い直江を抱きしめる夢。辛そうに肩を震わせていた彼をそっと包み込む夢を見たのだ。
けれども、もし夢でテレポートできるのならば、今まで苦労しない。あまりにも御伽噺のような考えに高耶は頭を振る。もっと現実的なことを考えなくてはいけない。
何とか頭を切り替えようとする高耶だが、ふいに風に乗って血の匂いがしてきて、ぴたりと動きを止めた。常人であれば気が付かないでろう、かすかなものではあったが、確かに血の匂いがする。それに咥えて、物騒な気配も。
(・・・これは、自殺、か?)
不安げに揺れる波動にそう思い至ると同時に、高耶は駆け出していた。助けなくてはいけない。
匂いがしているのは本殿の隣にくっ付いている居住空間だ。と言う事は、直江の親兄弟だろうか。ならば余計に助けなくては、と入口にかかっていた鍵を《力》で開けると、まっすぐに匂いの元へと向かう。
そうして辿り着いたのは、予想を裏切らずにやはり浴室だった。シャワーから水が出っ放しになっているのだろう、ざーっという音が絶えず聞こえている。浴室の入口は何故だか鍵が壊されていて、掛らないようになっている。見るからに裕福そうなのに、風呂場の鍵一つを直そうとしていない家に、わずかに違和感を感じながらも、高耶は手を伸ばとドアノブをまわして、中を見回した。
だが、高耶はそのまま動きを止めた。
家の中に上がりこみ、浴室まで迷いのない足取りで駆けた高耶だが、ここまで来て動けなくなってしまったのだ。浴室で手首から血を流し、血の気の引いた顔色で倒れている人物の正体に高耶は息を呑む。
どこか面影のある顔に、よく見知ったオーラ。
その二つはこの少年が、絶対にありえない人物である事を示しているのだ。

「・・・なおえ?」

小さく呟くと、名前を呼ばれたことに気がついたのか、風呂場で倒れ付している直江はわずかにみじろく。それにさらに高耶は驚愕して、だが、すぐにそんな事をしている場合ではないのだと思い出した。
まだ成長しきっていない直江の体からが一刻一刻と命が流れ出ているのだ。すぐにでも止血しなくては、命に関わる。
真っ赤に染まった床のタイルを見つめながら、高耶はいまさらながらに血の気が引いていくのを感じていた。このままでは死んでしまう。

「だ、誰か!誰か来てくれ!このままじゃ、死んじまう!!」
慌てて手首からの血を止めないために出され続けていたシャワーを止め、流れ出る命を留めようと必死に直江を抱きしめた。だが、冷たくなった体は重く、ぐったりとしていて、高耶を恐怖に陥れる。
「誰か、誰でもいいから、直江を助けてくれ!!」
普段は優しく包み込んでくれる腕が力なく垂れ下がっていて、大きな体もまだ自分のそれとあまり大差ない。それが余計に直江の今の状態が生よりもより死に近い事を表しているようで、高耶はきつく体を抱きしめた。
「誰かっ!」
悲痛な高耶の叫び声が寺のほうにまで聞こえたのだろうか、ばたばたと足音が近づいてきていた。



* * * * * * *



「暫くは安静にさせてください。今回は本当に危なかったようですから」
広い和室に布団が一つひかれ、その中に先程よりは少し顔色のましになった直江が寝かされている。その隣では治療を終えた初老の医師が簡単な注意事項を家族に述べていた。
だが、どちらもすでに慣れているのだろう。互いに何度も口にしてきた事を繰り返しているような感がある。
それを横目で見ながら、高耶は呆然と直江の横に腰を下ろしていた。
「・・・もう、大丈夫なのか?」
見る限り、医師も言ったとおりおそらくもう大丈夫なのだろう。後は血が再び満ち足りるまで安静にしているだけだ。
それでも、不安が拭いきれずにポツリと呟いた高耶に、医師の見送りについていかなかった男のほうが顔を上げた。
「大丈夫だよ。義明は死なないから」
直江とよく似た、けれどわずかに違う声色で応えられて、高耶はようやっとからだから緊張が抜けていくのを感じる。張っていたものが緩んで、ぼわっと視界がかすむ。
「よかった・・・・・・」
呟いた声は、零れ落ちた涙に溶け込み、布団の上掛けに小さな染みを作った。


ー続くー


書室 / 第二話



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