例えばこんな、aching

−1−


「直江!」
薄闇の中、高耶は突然何かに突かれたかのように跳ね起きた。
やたらと動悸が早い。
無意識に握り締めていた拳は汗を握り、まるで全身熱を持ったように熱いのに、体の芯のほうは冷え切っているような感じ。勝手に暴走しだしそうな体を何とか宥めようと、胸をかきむしるように喘いだ。
張り詰めた息が高耶以外に誰もいないリビングを埋める。
「直江・・・助けて・・・・・・・」
苦しそうに高耶は身を折って、祈るように呟いた。
ただその名前だけが、救いだとでも言うように。


夢を、見るようになったのは誘拐事件も片付いて一月もした頃だった。正確に言うのならば、それまでは常に気を使ってくれた直江がいてくれたおかげで恐い夢など見る間もなかったのだろう。今でも、隣に直江が寝ているときは夢を見ない。体温を感じ、その腕に抱かれてさえいれば、悪夢は高耶を蝕むことはなかった。
だが、一旦直江が傍を離れてしまえば、その時点から待っていたかのように悪夢は牙をむいた。ふとしたうたた寝の瞬間、道路を歩いていて、ふと出来る空白の時間。
その場に直江がいないと言う事が高耶を苦しめる。
直江との関係を偽ったこと。自分の手で直江を刺してしまったこと。
どちらも仕方がなかったことなのだと、理性は告げているのに、心の奥底がそれを認めていない。眠れば直江を刺し殺し、冷たくなった躯を抱きしめ、直江を裏切ったのだという身を切るような想いがふいにこみ上げてくる。
だからか、直江には相談できなかった。言わなくては、と思う。そして、言ったらきっと一緒に苦しんでくれる。それはきっと、この苦しみから抜け出る為の浮上薬となってくれるだろう。
けれど、言わなくては、と思うと同時に恐怖に身を駆られるのだ。
言った瞬間に、すべてが現実になってしまうかのような。
それが、高耶をさらに苦しめる。一度は言葉で直江を裏切っている。言葉で二人の間にある絆を汚した。
だからもう、言葉になどしたくないのだ。今度こそ、現実になってしまうかもしれないから。

――直江ぇ・・・・・・・・・・・・・

直江のぬくもりを求める高耶の声は聞き届ける者のいない空気の中へと溶け込んでいった。



* * * * * * *



「出張?」
夕食の時、嫌そうな顔で告げられた内容を高耶は呆然と聞き返した。
「はい。大阪のほうへ一週間ほど行かなくては行けないようなんです。できるだけ私でなくともいいように頑張っては見たのですが、どうも・・・」
本当にすまなそうに言ってくる直江を高耶は暫く見つめると、ほうっと小さく溜息をつく。
「そっか。仕事なら仕方ないもんな」
本当はこのところ元気のない高耶を気遣った直江の提案で、家の別荘に一日泊りに行くことになっていたのだが、仕事が入ってしまったのならしかたがない。残念そうに肩をすくめる高耶に直江はもう一度すまなそうに頭を下げた。
「また今度、責任を取らせてくださいね。二人で今度は何があっても出かけましょう。そうですね、綾子にも言わずに勝手に逃避行でもしますか?」
いたずらをする子供のようにわずかにトーンを落として聞いてくる直江に高耶は思わず小さく笑う。
「いいなそれ。でも、帰ったらねーさんの雷が降ってくるぜ?」
「綾子の雷ぐらい慣れてますよ。それじゃぁ、どこか行きたい所ないか考えておいてくださいね」
「おう」



* * * * * * *



眠れない。食べれない。
直江から出張に行くと告げられた時に、そうなるであろうと思っていたことがそのまま高耶の身には起きていた。何とか生きていると感じられるのは、直江からの電話が掛ってきている時だけ。その時だけが、直江は確かにこの世界にいるのだと分かる。
それ以外では、夢なのか、それとも現実なのか、それさえも判断がつかない。常に夢と現とを行き来しているような感じで、右も左も、上も下も分からない。
これではいけないと、無理矢理に食事を取り、何とかベッドにもぐりこんでも見るのは相変わらずの悪夢のみで、休まるどころか眠るたびに精神を削り取られていくような気がする。
暗闇の中に光を映さなくなった直江の瞳が現れ、静寂が高耶を責める。
直江がここにいないのは、実は自分が殺したからなのではないだろうか。
肉を立つ、身の毛もよだつような感覚が蘇ってくる。
それとも、あの時の狂言をオレの事実だと思ったからだろうか。
背を向け、自分から遠く離れていく直江の影が見える。
浮かんでくる泣きたくなるような考え。
それを否定してくれるはずの存在はここにはなくて、ただ一人闇の中へと落ちていく。

直江、直江、なおえ・・・・・・

助けを呼ぶことさえ、声を出して名前を呼ぶことさえ、赦されない気がして、ただただ心の中で男の名前を繰り返す。それ以外の言葉などいっそ消えてしまえばいいと思う。そうすれば、もっと楽になれるのに。

すーっと頭の奥が冷えていく。緩やかに狂っていく自分を見つめる。
やがて。急速に世界に靄がかかっていって、音も色もとうとう自分から逃げ出したのだと、鈍くなっていく思考の端で思った。
このまま、消えてしまえるのだろうか。直江のいなくなった世界に未練などないから、世界から消えることに恐怖は不思議なぐらいなかった。どちらかといえば、安堵感のほうが優っていて。

思考があいまいになっていく中、電話のベルが虚しく部屋に鳴り響いていた。

〜続く〜

ようやっと、本当にようやっと。
『例えば、こんなabduction』の続きです。
誘拐編でおった高耶さんの心の傷を治すお話。
暫く、お付き合いくださいませ。。






天は願いを、聞き届けてくれるだろうか?
ただ、この先もずっと二人で生きていけるように・・・

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