例えばこんな、aquarium
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約束の時間よりもきっかり十分早くに開崎の家に辿り着いた高耶は、自分をここに送ってくれた車の姿が見えなくなると、チャイムを押す。すると待っていたかのように、すぐに直接扉が開けられた。
「やぁ、おはよう、高耶くん。今日は体調悪くないかい?」
にこやかな開崎の言葉に高耶は軽く頭を下げる。
「おはようございます。今日は一日お願いします」
あれからの付き合いで、普段は砕けた言いようをするようになった高耶の、畏まった口調に昔を思い出し、思わず開崎は笑みを浮かべた。
「いやいや、役得だよ。信綱の会社には礼を言わないといけないな。おかげでこうやって、高耶くんと二人でデートを出来るんだから」
そう、今日の高耶の予定は開崎とのデートだったりする。
と言っても、もちろん浮気ではない。嫌々だったとはいえ、ちゃんと直江の了承済みである。というよりも、元はといえば今回の話を持ち出したのは直江で、しかも結局最後まで嫌がっていたのも直江だったりする。
誘拐事件の後遺症が未だに完全には癒えない高耶のために、直江はつねに高耶を1人にしないようにしてきた。だが、それがここに来て仕事の関係で、どうしても高耶から離れないといけなくなってしまったのだ。
だからといって、高耶を1人には出来ない。そこで、直江が考えたのが高耶の後遺症を見ている開崎の存在だったというわけだ。確かに開崎であれば何の説明もいらない。
千秋当たりも考えたのだが、いかんせん忙しすぎて、捕まらなかったのだ。
「で、今日は何かしたいことがあるかな?私の家で鰯と遊ぶかい?」
普通の人間にはまずない”鰯と遊ぶ”というのも、この男ならごく普通にしかもまず何よりも最初に出てくる。
それに思わず笑みを浮かべてから、高耶は開崎を下から見上げた。
「えっと、出かけたいところがあるんだけど・・・」
だめ?と、訴えるような視線で見上げられた開崎は、思わず息を呑む。今までも、何度か経験しているが、相変わらず心臓に悪い。こんな目をされたら庇護欲を掻きたてられて、何でも叶えてやりたくなってしまう。
「そんな目をしなくとも連れて行ってあげるよ」
苦笑交じりの開崎の言葉に、そんなと言われた目が一体どんなものなのか分からない高耶はわずかに首を傾げ、それから開崎の返事に嬉しそうな笑いを浮かべた。
「それで、どこに行きたいのかな?」
「水族館!」
「水族館?」
「そう、直江と開崎さんがデートしていたって言う、水族館に行ってみたい」
直江が聞けば、デートじゃないと憤慨しそうなことを、高耶は言ってのける。
セラピーの間に開崎から色々と直江との大学生活を聞いて、絶対にその水族館に行ってみたいと思っていたのだ。それも出来れば、直江とではなくて、開崎と。第一、直江はおそらく嫌がるだろうし、あるいは、嫌がりはしなくとも、大学時代の話を色々とはしてくれないに違いない。
「水族館かぁ。私も最近行ってないな。よし、それじゃ、水族館デートで決定だ。元祖エリザベスの家を見に行って、ついでに何かぬいぐるみでも買うか。それを、信綱に見せて、楽しむのもおもしろそうだと思わないかい?」
おそらく、まずは高耶に物を与えた自分に嫉妬して、それから水族館であることないこと話されたに違いないと、顔を真っ青にするだろう。その時のことを考えて楽しそうな開崎に、高耶も楽しそうに頷いた。





直江たちが水族館に足しげく通っていたころから、すでに大分時は経つが、そこの水族館は改装を経て、再び綺麗になっていた。けれど、改装はしたとは言っても、もちろん壁の塗り直し程度なので、今の若者が行くような水族館とは違う。静かな空間と、魚たちを見ることに重点を置かれた、水族館だ。
窓口で二人分のチケットを買い、一歩館内に足を踏み入れた二人を出迎えたのは、ラッコたちの泳ぐ水槽だった。結構大きいその水槽の中をラッコたちは楽しそうに泳ぎ回り、観客に愛想を振り撒いている。
水槽の底の方へと潜っていく毛に覆われた皮膚に、こぽこぽと沸いてくる空気がまた可愛いらしい。
まずはその愛くるしい姿に高耶は、嬉しそうに小さく声を上げてから、水槽の前に立った。水槽ぎりぎりに立って、ラッコたちの姿を追う高耶に、開崎は思わず笑み崩れる。直江と二人できた時は、こんなところで立ち尽くすことはなかった。開崎も直江もラッコには特に関心を示さなかったのだ。もっともそれ以上に、この大きな水槽の前に大きな男が二人も立っていれば、さすがに人目を引くというのもあったが。
「ラッコ、好きなのかい?」
高耶の斜め後ろまで歩を進めて、ラッコを見上げながら尋ねる。
「うん。好き、かな。基本的に動物は好き」
それは、人間が高耶にとってそれほど好意を寄せる対象ではなかったからと言う事もあるのだろう。
「そうか、それは信綱と同じだな」
ふむふむと、腕を組んで頷く開崎に、高耶はラッコから目を離して、振り返った。
「直江って、動物が好きなのか?」
「動物が好き、というよりは、動物以外が好きではなかったと言ったほうが近いかもしれないけどね。高耶君の信綱に対する初めの印象ってどんなものだった?」
さりげなく高耶を次の部屋へと導きながら、開崎が尋ねると、高耶は昔を思い出すように首を傾げる。
「第一印象?う〜ん、変わったやつ、かな」
なんせ、見ず知らずの高校生を家に連れて帰って、怪我の手当てをして、最終的にはその家に住まわせてしまったのだ。相当に変わっている。
けれど、そんな高耶の答えに開崎は楽しそうに笑った。
「それは、悪い意味ではなく、だろ?」
まるで、それまでは違うのだとでも言うような開崎に、高耶は頷いた。
「うん。・・・おかしい?」
「いや、私も信綱は変わったヤツだと思うよ。だけど、君に出会う前の彼を知っている人間は、そんな風には言わないだろうってことさ。おそらく、ロボットみたいだとか、暖かい血が流れているのか、とそんな言葉のほうがダントツに多い。なんせ、ほとんど表情を表に出さなかったからな。いや、もしかしたら感情自体がないに違いないと思っていたのが、大半だろうな」
楽しげな開崎の言葉に、本気で高耶は驚いて、足を止めた。
「ロボットみたい?感情が表に出ない?あれで?」
高耶に知っている直江からは想像できない言葉だ。
だって、高耶の前では直江はいつだって、柔らかな笑みを浮かべ、嬉しそうにしている。あるいは、嫉妬に狂い、あるいは、情けない顔で高耶に許しを請う時さえある。
本気で分からないという高耶に、開崎は笑みを浮かべる。
「だから、君と出会って変わったんだ。それまでは、本当に動物の前でぐらいしか、笑わなかっただろうからな。人だってものによっては動物みたいなものだがなぁ」
片目を瞑って、最後にそう付け加えた開崎に、高耶は小さく噴出した。
つまり、直江が唯一笑いかけたであろう対象が動物だから、直江は動物が好きだというわけだ。確かに、自分が動物を好きだったように、同じような理由で直江も動物を好いていた可能性は大いにある。
「さぁ、それじゃぁ、鰯の前に信綱がおそらくこの水族館の中で一番気になっていた水槽に行こうか」
「直江が好き?」
今度は開崎の想像ではないらしい言い方に、高耶は開崎を見返す。
「あぁ。あいつは人の事を散々におかしいというが、あいつも十分おかしいと言う事を教えてあげよう」



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Photo by :: syouka
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