Love Step


第一話


「お兄ちゃん、もっと嬉しそうに笑えないかなぁ?」
美弥の溜息とも苦笑とも取れる言葉に高耶の頬がわずかに引きつる。
「こう、か?」
「・・・・・・お兄ちゃん、さっきのほうがまだまし」
美弥の非情な言葉に高耶も今度は溜息をつく。
いくら、目の中に入れても痛くないほど可愛がっている妹の頼みでも、自分には出来ないと正直に告げるべきだったかもしれない、といまさらながらに思う。

事の起こりは、二週間前。大学の休みを使って松本に帰った二日目の事だった。


「お兄ちゃん、お願いがあるの」
深刻な顔で出先から戻ってきた美弥が夕食が終わると突然、そう切り出した。
「頼み?」
普段めったなことがなければ自分から願い事など口にしない美弥のことだから、そう言われただけでよほどの事があったのだろうと分かる。持ち上げていたコップをテーブルに戻して、高耶も真剣な顔で美弥を見遣った。
「何かあったのか?」
わずかに言いよどむように言いずらそうな美弥を促すように高耶が尋ねると、美弥は小さく頷いた。
「梨恵さんを、助けてあげて欲しいの」
「梨恵さん?」
ここ最近、聞かなかった名前に高耶は首を傾げる。
梨恵とは、昔。高耶がまだ中学生の頃に美弥が世話になった人だ。高耶よりも二つ上だったから当時すでに高校生だった。
中学生のころの高耶といえば、“深志の仰木”と街中から言われるほどに荒れていた時期で、自然美弥への周りからの風当たりもきつかった。もっとも高耶が荒れていたと言っても学校をサボりがちになったり、多少喧嘩っ早くなったりといった程度で、しかも、その背景には酒飲みの父親からの虐待というものがあったのだから高耶を責められる人間はいない。
中学生と言うまだまだ親の庇護が必要な高耶は自分よりも幼い美弥を背に庇い、一人で戦っていた。自然、学校など行っているような余裕はなく、気がつけば周りの人間を信用できるような精神状態でもなくなった。
そんな中で、何となく周りから疎外されていた美弥の遊び相手になり、家に帰れないような時は泊まりに来てもいいのだと言って、無条件に仰木兄妹を受け入れてくれたのが、杉並梨恵だった。
彼女の実家は東京にある。何でも療養のために松本にある祖母の家に越してきていたのだと言う。
その後、父親が段々に元も生活を取り戻すようになったころに、梨恵も体が元気になってきて、大学進学と共に東京へと戻っていた。それからは、時折松本にくる彼女と美弥の間ではそれなりのやり取りもあったようだが、その二人の間に高耶が入ることはなかった。
それが、今になって突然どうしたと言うのか。
訝しげに、でもそれ以上に心配げな表情を浮かべた高耶に美弥はこう言う事なのだと説明を始めた。
「親の紹介で知り合った男性がいたらしいの。それで、梨恵さんはその人のこと物凄く好きになって、付き合い始めたんだけど、相手の人はね、親からの命令だったっていうのと断ること自体がめんどくさかったからって、それだけの理由で付き合ったんだって。まぁ、それだけだったらまだいいんだけど、その人すごく女癖が悪くて、梨恵さんと会う約束していてもそこに別の女性があらわれれば、その人の所にいって、街で偶然会えば、そのたびに三人も四人も女性を連れていたみたい。それでとうとう我慢が出来なくなって、怒ったらしいんだけどそうしたらその人じゃなくてね、その人の周りにいた女性がくすくす笑って、「あなたって子供ね、そんなんだからこの人も真面目に付き合ってくれないのよ。いい加減気がついたら?じゃないと、彼もかわいそうよ」とか言って、梨恵さんの前で、その・・・・・・始めちゃったらしいの
最後は口ごもるようにして、言いにくそうに呟いた美弥の口から出てくる高耶からすれば最低以外の何モノでもない男の姿に、高耶は思わず呆然とする。まるで漫画かドラマかと思ってしまような男が、本当にそんなヤツもいるらしい。
当たり前だが、そんなことをされて傷つかない人間がいるはずがない。梨恵はショックのあまり東京から松本に逃げてきたのだと言う。けれど、家がそれを赦さない。杉並家の人間としてちゃんとパーティーぐらいには出ろと言って来て、けれどそのパーティーにはもちろん、その最低男も出席している。

梨恵は高耶にとっても恩人以上の人だ。いくら感謝しても足りない。
同じ男として赦せないと思うのに、その相手が梨恵だと言うのだから、沸いてくる怒りは何倍にもなる。
そして、それを見越したかのように美弥はニコリと笑って、手を合わせた。
「それで、ね。お兄ちゃんに梨恵さんの恋人のふりをして、パーティーに出て欲しいの」





「あの、やっぱりオレなんかが行ったら余計馬鹿にされるんじゃないですか?」
梨恵が用意してくれた淡いクリーム色ののタキシードに身を包んだ高耶が、横にいる梨恵にこそこそと尋ねる。何度鏡で見ても似合っているとは思えなかったのだ。まるで、七五三の子供だとしか思えない。
けれど、梨恵はそうは思っていないようで、嬉しそうに高耶を見つめて、これなら見返してやれるわと笑う。
「それじゃぁ、行きましょうか。高耶くん」
そう言って、手を差し出されてしまえば、一度を引き受けただけに高耶はとうとう腹を決めて、梨恵に腕を出し、恋人のように寄り添った。
「はい、行きましょうか。梨恵さん」




会場に二人が足を踏み入れると共にざわりと人々がざわめきたった。それにつられるようにして、他に向けられていた視線も自然と入口に向かい、そしてその先に見慣れない青年の姿を見つけて、さらにざわめきが大きくなる。口々に杉並家のお嬢さんの隣にいる青年はだれだと、隣の人と話し始める。
そんな衆目に晒された高耶は、怯みそうになる気をしっかりと立てて、まっすぐに前を見つめた。そして、時折わずかに身をかがめて、梨恵に話し掛ける。
傍から見れば理想のカップルにしか見えない二人に、人々の口から漏れるのは溜息だ。しかし、それも五分もしてくればそれぞれが再び己の世界に戻り、二人の周りに幾分静かになる。
「そう言えば梨恵さん、その最低男の名前ってなんていうんですか?」
一度も聞かなかったとここに来て思い出した高耶はこっそりと尋ねた。それに梨恵は苦く笑って、カクテルをいっぱい仰ぐ。
「直江、よ。直江信綱。見た目だけは極上の男」
「今日、来ているみたいですか?」
その男を見返してやるために、と今日やってきたのだ。来なければ、自分がこんなにも場違いなパーティーに出ている意味がなくなってしまう。最も、梨恵のことを思えば来ていないほうがいいかもしれないが。
「――・・・・・・えぇ。残念ながら、いたみたい。ほら」
わずかな沈黙の後に、梨恵が壁のほうを示す。
「あそこに、いるでしょ?周りに女性を侍らせた男が」
言われたほうを見遣れば確かに、一人の男性に四五人の女性が群がっている。自分だったら絶対にお断りの状況だが、男は何も思っていないのか、されるがままになっていた。特に脂下がっているわけでもない。嬉しそうに笑っているわけでもない。ただ、そこに女がいるから、周りに侍らせているといった雰囲気だ。これだったらまだ、周りに女がいることを自慢げにしているやつのほうが、見ていて可愛げあるかもしれない。
「嫌味な男でしょ?」
まるで高耶の思考を呼んだかのような梨恵の言葉に高耶は苦く笑いながら頷いた。
「けど、見た目だけは超一流でしょう?」
これにも頷くしかない。
確かに、直江という男は同性である自分から見てもかっこいい。座っていても分かる長いすらりとした脚に、非の付け所がないほどに整った容貌。髪も瞳も琥珀を溶かし込んだような色で、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。身に纏っているのはごくシンプルなスーツだが、だからこそ余計に男の魅力が前面にかもし出されていた。
少し離れてはいたが、じっと見られていることに気がついたのか、ふと直江が顔を上げる。思わず、やばいと思ったのはしっかりと視線が絡んだ後だった。しかも何を思ったのか、直江はそのまま立ち上がり、高耶と梨恵のほうに向かってくる。直江をよく知っている梨恵はそんな直江の行動に驚いたようだったが、ここにくるまでにすでに度胸は決めていたのか、逃げようなどと言う様子は少しも見せず、黙って高耶の腕に自分の腕を絡ませた。
「梨恵さん、お久しぶりです」
礼儀上まずは梨恵に挨拶をした直江の後ろには女性たちが群がっている。
「ごきげんよう、信綱さん。今日もたくさんの方をお連れなのね」
「えぇ、まぁ。でも梨恵さんも素敵な方をお連れのようですが」
ちらりと高耶を見る直江に梨恵は満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます。新しい私の恋人ですの。高耶、挨拶して?」
すらすらと自分の知っている梨恵からは想像できない上品な喋り方をする梨恵にわずかに押されながら、高耶は軽く頭を下げた。けれど、その拍子に男の周りにいる女性たちのドレスが目に入って、思わず顔を顰める。
「始めまして」
投げ捨てるように挨拶をして、思わず直江を睨み上げた。あれだけ美弥と笑顔の練習もしたが、実際に男を前にすれば、軽蔑感と嫌悪感に、笑顔など欠片も浮かんではこない。
そんな高耶の睨みに直江は驚いたように目を見張った。まるで物理的な力があるかのように突き刺さってくる鋭い眼光に、一番奥まで見えそうなほど澄んだ漆黒の瞳。抗い難いほどに惹き付けられる。
生まれた初めて感じる他人への好奇心に、直江は驚きとそれ以上の心地よさを感じていた。



TO BE CONTINUED


『女にだらしない直江』というお題を元に書いたお話。
『Love*Step』でした。
いかがだったでしょうか?
続きは、Das Weisses Tier様にあげていただいております。
私の小説を抜けば、ものすごく
素敵な小説が置いてあるサイト様です。
ぜひぜひ、覘かれてくださいませ。

さて、それで実はこれ、Ver,1とか書いてあって、
微妙に設定の違うお話もあります。
後ほど、そちらも上げますので、
楽しんでいただけると嬉しいです。


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