O n c e



 「何でお前まで来てんだよ!!」 高耶の叫び声に綾子はすまなさそうに手を合わせ、千秋は何がおもしろいのか、ニヤニヤと笑っている。  「ごめん、景虎。出掛けに長秀に捕まっちゃって・・・。」  「まっ、そんなに怒んなって。頭に血が上っちゃうぜ?」  「〜〜〜〜!!誰のせいだと思ってんだよ!」  「はぁ?何、お前俺のせいだって言いたいわけ?   元はと言えば、俺様に声も掛けずに晴家と、直江のマフラーを選びに行こうとするやつが悪いんだろうが。」  「それのどこが悪いんだよ!」  「悪いに決まってんじゃん。そんなおもしろい事、俺抜きでやろうとしてんだから。   この後、旦那に渡しちゃうんだろ?こんなおもしろい事見逃せねぇって。」  「・・・おもしろいとか、そう言うもんじゃないだろ!」 次から次から自分勝手なことを述べていく千秋に高耶は食って掛かるが、 その労力が報われる事がないのは明らかだった。 事の起こりは、四日前。 美弥の様子を見に松本に戻っている時の事。  「う・・・ん・・・」 ふと、目を開けると見慣れない天井が目に映った。  (ここ、どこだ・・・?) 慌てて起き上がろうとすると、ツキンと、頭に痛みが走る。  「っ・・・」 頭を押さえてベットに倒れこむと微かな消毒液の匂いが高耶の鼻を刺激した。  (もしかして病院か?) 辺りを見回すと、白を基調とされているらしい部屋は明らかに病院のそれだ。 そして、頭にはしる痛み。  (そっか、街で誰かに押されて、階段から落ちたんだっけ・・・) 突き落とされて、その後の記憶がなく気が付いたらここにいたという事は、つまり、  (かっこわり〜。オレ気失ってたのかよ・・・) 救急車に乗せられた可能性すらある。それこそ恥以外の何物にも思えない。 考えれば考えるほど恥ずかしくなって、高耶は再びベットに倒れこんだ。  (・・・あれ?・・・救急車って・・・金かかんじゃなかったっけ。それに、ここにいたら治療費もかかる。) 一体それがどれぐらいの額になるのかは高耶には想像つかないが、 自分の家にそれを払うことが出来るだろうか? あの安いアパートですらも毎月ギリギリなのだ。 サァーッと、頭の血が引いていく。 勝手に連れて来られたとはいえ、「払えません」で済むと思えるほど子供ではない。  (逃げるか・・・) そう決心した高耶の耳に近づいて来る足音が届いた。 看護婦か、あるいは医者か。 どちらにせよ、ドアが開けられる前にこの部屋から抜け出さなくては名前や住所を聞かれる事になる。 そうなったら金を払わなくてはいけなくなるだろう。  (でも、どこから?) ゆっくり考えている時間はない、と立ち上がった高耶は奇妙な違和感を感じて、立ちすくんだ。 どこが、どう、とは言えない違和感。 しかし、そんな物に付き合っていられるだけの時間がないことを近づいて来る足音が高耶に告げる。 慌てて辺りを見回し、すぐそばまで木の枝が来ている大きな窓を見つけた。 あれなら簡単に伝って降りる事が出来る。 ドアが開くと、鋭い六感が感じると同時に高耶は木の枝に飛び移っていた。 病院を抜け出した高耶は迷うことなく夜の街に出た。 しかし、どうも落ち着かない。まるで異邦の地にやって来たかのような心地がする。 二つのジグソーパズルを無理矢理繋ぎ合わせるような気持ちの悪さ。 歩きなれたはずのその道を、理由の分からぬままに彷徨い、高耶はようやっとその理由が分かった。  (こんな所に、こんな店あったか?) 一事が万事そんな調子なのだ。 角にあったパン屋は喫茶店に変わり、汚い本屋はこぎれいなコンビニに取って代わっている。 異邦の地どころか、異次元の世界に迷い込んできたかのようだ。 向こうに見える松本城は最後、階段から落ちる寸前に見たものと同じなのに、 街の様子だけが明らかに変わっている。  (実は突き落とされたあと、何年も眠っていた、なんてことはないよなぁ・・・) などと、非現実としか思えないことを考えて、それはありえないか、と一人ため息をつく。 昔何かで、長い間歩かなかったら足の筋肉が弱くなり、立つことすらもままならなくなると聞いた事がある。 立つどころか、平気で走っているのだから、何年も意識がなかったなんて事は考えにくい。 なら、今自分の目の前にあるこの現実はなんなのだろうか? まるで、時の彼方に一人取り残されたかのようだ。 街の広場でただ一人立ち尽くす高耶の周りでは、まるでそんな高耶をあざ笑うかのように 正常な時が刻み続けられている。 待ち合わせをしているらしい女性。 すでにだいぶ呑んでいるのか、おぼつかない足取りで次の店に向かっているサラリーマンの集団。 店のショーウィンドーの向こうでは笑いながらお茶を飲むカップルに、落ち着いた様子で食事を運ぶウェイター。 この世界に何の違和感もなく納まっている彼らは、笑い、怒り、あるいは泣いて、今という時間を過ごしている。  (オレどうしてここにいるんだろう・・・) 自分の居場所などどこにも存在しないのに。 誰も自分を必要とはしてくれていないのに。  (違う、美弥がいるじゃないか。そのためにオレは存在を許されているんだ・・・) 唯一つ、自分を求めてくれる存在を思い出して、高耶はそっと息を吐く。  (・・・家に帰ろう。) 一旦、そうと決めた足取りは確かで、次第に速度を増していく。 最後は全力で走っていた高耶はアパートに着くと、肩で息をしながら、部屋を見上げた。  (・・・?電気がついている?) 美弥はもう寝ているような時間のはずと、目を凝らしてもう一度部屋を見上げた高耶はふいに、 昨夜交わされた会話を思い出した。  (あれっ。そう言えば今日は友達のところに泊まりに行くって・・・) そして、それと同時にこの明かりをつけたのであろう人物を思い出した。 しばらく顔を見せなかったから家の場所を忘れたのかと思っていたがそうではなかったらしい。 あの父親が性懲りもなく金でも漁りに帰ってきているに違いない。 離婚後持ち直したかのように見えていたあの男の生活はすでに再びどん底まで落ちていた。  (・・・ここにもオレの居場所なんかない・・・) 今さっきまでここに来ればいいのだと思っていた自分がバカらしく思えてくる。  「はっ!いいかげん、笑っちまうよな。」 おかしすぎて笑ってしまう。 元から自分に居場所なんかないのに。 こんな虫けらみたいに地面をはいつくばってどうにか生きているだけの自分なのだから。 知らず知らずに歩き出した足は、三井というやつらの溜まり場に向かっていた。 似たような人間ばかり集まっているあそこにならこの体を休めるぐらいの場所はある。 しかし、辿り着いたそこで高耶は顔をこわばらせた。 昨日まであったはずの薄汚れた溜まり場が跡形もなくなっているのだ。 街中での見慣れぬ風景が頭の中をよぎる。  「どうなってるんだよ!」 高耶の叫び声は空しく響くが、それを耳にするのは己のみで、 この世界には自分以外の生き物はいないのかもしれないなどと、バカな事を考えてしまう。 ふらふらと、今度はあてもなく歩き始めた。 いや、“歩いている”という自覚はすでにない。 ふと強く吹いた風が木の葉と何か紙切れを高耶の元まで運んできて、高耶はそれを無意識に拾い上げた。 新聞にはもちろん聞き知ったニュースなど載っていない。 元からそんな物とは縁のない生活習慣なのだ。 しかし、何気なくみた新聞の欄の上、日付のところに高耶は文字通り、目が釘付けになった。 “自分がさっきまでいたはずの年”よりも何年も先のはずの西暦が堂々と印字されていたのだ。   見覚えのない街並み。   あったはずのものがなくなり、なかったはずのものがある奇妙な街。   ――――あれは、時間が流れたからではなかったか?   始めに立った時の違和感   ――――そしてこれは、目線の高さが変わった事によるものではなかったか? だとすれば、自分の記憶は間がすっぽり抜けている事になる。 それも一年や、二年ではない。 新聞に記された年だとすれば、自分はもう、中学どころか高校すら卒業している可能性もある。  「そんなバカな・・・」 足元から地面が切り崩されていく感じだ。 この長い憶えのない空白の時間を、自分はどうやって過ごしていたのだろうか。 自分は本当に生きていたのだろうか? もしかしたら、先程までの悩みなんか幸せな悩みだったのかもしれない。 あれは自分があるから、自分の存在を感じる事が出来たからこその悩みだった。 しかし、今はそれさえも出来ない。 自分の居場所どころか自分が確かに存在してきたのだという証拠を自分は持っていないのだから。  「誰か・・・」 すでに自分にさえ届かない叫び。  「だれか・・・!・・・ぇ、なおえっ、なおえ!!」 自分で紡いだ言葉さえも高耶の耳には届かない。 世界は音という音すべてを凍らせていた。 あるのは、静寂という名の音のみだ。 だから、後ろから自分を呼ぶ人間がいる事にも高耶は気付けなかった。 ただただ、それが何なのかも分からないままに、直江の名を叫び続けている。 それに驚いたのは、後ろから高耶に声を掛けた直江だ。 明らかに正気を失っている高耶の様子に、何があったのかと、急いで駆け寄った。  「高耶さん!どうしたんですか?何があったんです!」 腕を伸ばして、その肩を抱きしめる。 するとそのぬくもりは高耶にも伝わったのか、高耶は固く握り締めていた拳を解き、肩の力を抜いた。 急に大人しくなった高耶の顔を直江は高耶を解き放つことなく、覗き込んだ。  「高耶さん?何かあったのですか?」 優しく、包み込むように自分を呼ぶ声。 覚えのあるコロンと汗の匂い、そして、懐かしささえ呼び起こすぬくもり。 自分の体のあっちこっちが勝手に反応する。  「・・・あんた誰なんだ・・・」 声を発してから、自分が見も知らぬ男に抱きしめられている事を思い出して、高耶はあわててその腕から逃れた。 直江は高耶の問う言葉の意味を掴みきれず、呆然とする。  「どういう、意味ですか?」  「あぁ、なんかオレ中に以降の記憶がないみたいなんだよ。   だから、オレはあんたのことを知らない。」 先程まで正気を失ったかのように叫んでいたとは思えないほどその声は、落ち着いていた。
御室 様・・・すみません。めちゃめちゃ遅くなった上、終わってません。 しかも、リクエスト内容である、「マフラー」はほとんど出てこないし・・・ すみませんです。でも、かならずすぐに続きをあげますので(>_<) あきれないで、おつきあいください♪ 書室に戻る     Once、2に続く
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送