夏の星空に……
2003年・夏 / 暑中お見舞い申し上げます





written by 織る子
2003.07.23.






 からん、ころん、と下駄の音を響かせて。
 二人は夏の夜空の下を歩いていた。



 母が用意してくれた浴衣を着ての、星空散歩。
 高耶は白地に藍錆色で模様が入った浴衣を着て、その模様の色よりも一段深い藍鉄色の帯を締めている。直江の方は、黒橡(くろつるばみ)の僅かな濃淡で地模様が入った、遠目には黒っぽい単色にも見える浴衣に空五倍子(うつぶし)色の帯。どちらも母の見立てである。
 あれもこれもと目移りして、選ぶ間も本当に楽しかったわ、と、母は新調した浴衣をそれはにこやかに披露してくれた。当然の流れと言うべきかそのまま試着して見せることとなり、着てしまえば、せっかく着たのにすぐ脱いでしまうのは勿体無い、という話になったのだった。

 祭りがあるわけでもなく、花火大会があるわけでもなく。
 目当ての場所があるでもない、ぶらりと気儘なそぞろ歩き。

 歩みにあわせて、夜気のなか、白い裾が高耶の踝と戯れている。



 からん、ころん、と並んで歩く下駄の音。
 やや離れて、人々の営みの音が聞こえてくる。
 気が早い虫たちの声はどこか遠慮がちで。

 二人で共有する静けさを楽しむように互いに口数少なく歩いていると、高耶が何気なく足を止め、夜空を見上げた。
 宇都宮の、それも市街地を少し離れたところになると、見上げる夜空には東京の夜空とは比べものにならないくらい星が瞬いている。
 直江にとっては懐かしい、そして久し振りに落ち着いて眺める星空。

 仰木高耶が生まれてから二人が再び出逢えたあの日まで、高耶が独りで見上げていた松本の空は、確かに、この空と繋がっていたいうのに。
 地上の灯りに邪魔をされて、ふたつの夜空は見上げる者たちを違った表情で見下ろしていた。
 そして今も、それは変わらない。

 この空が、もし、星々の輝きを同じだけ
 あなたに、俺に、降りそそがせていたならば
 同じ瞬間に同じ星空を見上げていたならば
 もっとはやく、あなたを感じることができただろうか



「星…たくさん出てるな」
 呟く声に、直江はそうですね、と小さく返した。
 松本の星空と比べたら、今夜のこの星空だって、きっとずっと星の姿が少ないはずなのに。
 そんな言葉が自然に出るのは、闇戦国終結から数年、橘の家でともに暮らす彼がそれだけ宇都宮の夜空を親しみ深く感じてくれているということなのだろう。
 そうやってまたひとつ「彼とともにある生活」を実感して、直江は星空から、星空を見上げる高耶へと視線を移した。
 視線に気づいて、高耶も直江を見返し、はにかむような笑みを浮かべる。
「なぁ、夏っていったら、何を思い浮かべる?」
 ほんの一瞬だけ瞳を憂いに翳らせ、そんな内心を隠そうとしてだろう、笑顔を作った高耶が問いかけてきた。

 夜空の星々に、彼は何を、どんな想いを重ねたのだろう。



 高耶の表情に気づかなかったフリをして、直江はのんびりと思考をめぐらすような顔をした。
 星空を見上げた高耶の内に浮かんだ、何か、言葉にするのを躊躇わせる想い。
 一人で抱え込まないで、できれば、自分にも話して欲しいと思う。
 けれど、問い詰めて高耶を困らせるようなこともしたくないから。

「夏、ですか?そうですね…海、朝顔、蛍…………法事…」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた最後の単語に、思わず高耶は吹き出した。
「おまえらしーのな。法事はともかく風流なモンばっかじゃねぇか。夏期講習ってのは無理かもしんねぇけど、ビヤガーデンとかさ、そういう連想はないのかよ」
「褒められているのか貶されているのかわからない感想ですねぇ」
 大袈裟に渋い顔をして見せると、高耶は「褒めてるんだよ、一応な」と笑った。「一応な」と言う声に含みがあって、からかっているとしか聞こえない。
 直江は肩を竦めて苦笑した。
 そしてさりげなく、高耶の想いを出口へと誘う。
「じゃあ…あなたは、何を思い浮かべるんです?」
 問い返された瞬間「バレてたか」と言いたげに眉を下げた高耶は、バツの悪さを誤魔化すように髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら、再び夜空を振り仰いだ。

「夏には夏の…春にも秋にも、冬にも、オレたちは……思い出さずにはいられないことが多いな」

 と……思ってさ。
 そう呟く高耶の瞳は、夜空の星たちのひとつひとつに自分たちが歩んできた日々を、出会った人々を、別れを、静かに思い重ねていた。

 たとえば、天下統一へと時代が加速の一途を辿ったあの夏。
 たとえば、多くの人々が一瞬にして蒸発させられたあの夏。
 情報統制によって「勝利」の報ばかりが伝えられていたのに玉音放送が流れたあの夏……。

 記録でも何でもなく自分たちが確かに生きてきた年月に、忘れられない夏のなんと多いことだろう。
「そう…ですね………」
 こんなにも永い時を、互いに必死で生き抜いてきた。
 だからこそわかる、この穏やかで変哲のない日々がどれほど貴重なものであるかが。

 いくらかの涼気を含んだ風が気まぐれに頬を撫でていく。
 二人が見上げる夜空で星がひとつ、長い尾をひきながら流れていった。







「さぁ、そろそろ帰りましょうか」

 帰りを待つ人々がいる、二人が生活をともにしている家へ。
 二人の「今」へ。

 差し出された直江の手に、泣き笑いの表情をひらめかせて。
 高耶は自分の手を、重ねた。







 からん、ころん、と下駄の音を響かせて。
 星々の繊細な輝きを纏った宇都宮の夜空に見守られながら。

 しっかりと手を繋ぎあって、二人は夜道を家へと歩く。













 光厳寺の近くまで戻ってきたとき、ふと、直江が繋ぐ手に力を込めてきた。
 どうかしたのか?と視線で問えば、思いのほか真摯な瞳を見上げることになって、高耶は少し、ドキリとする。
「夏………」
「…え……?」
 脈絡もなく先刻の会話に引き戻されて首を傾げれば、見上げる視線の先で、直江が滲むように微笑んだ。


「私にとって夏は…あなたが生まれた季節、です」


 思い出す憂いも哀しみも、たったひとりで抱えているのではない。
 そして、共有する思い出には辛いものが多いけれど、決してそれだけじゃ、ない。








 ともに生きた、すべての時と、すべての想い。
 それらを愛しむように、柔らかく、直江は高耶を抱き締めた。

 直江が言葉に込めた想いが、高耶の心に染み入ってくる。
 人目を気にするより、今は甘えたくて。
 高耶はそっと、直江の胸に頬を触れさせた。



 感じる鼓動に瞼を閉じれば、
 二人で見上げた流れ星がふたたび、今度は脳裏に軌跡を描く。







 今夜のことも、きっと
 夏の夜空を見上げるたび思い出すことになるだろう………。









= END =


織る子さま。。
素敵な暑中見舞いをありがとうございます!
おかげさまで本当に暑さが吹き飛びました。
甘くてゆったりしているのに、しんみりもしていて、溜息が思わず漏れてしまいました。
直江の「私にとって夏は…」の台詞もクラクラです。。
そしてそして、浴衣、いいですよねぇ(ウットリ)二人並んで浴衣v
さらに高耶さんの踝に戯れる白い裾!いいです!!

本当に素敵な小説をありがとうございました!





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