―――あれから、何度目の桜になるだろう。           この体に戻ってから、幾度の歳を経ただろう…… さわさわと、淡い色が舞う。 優しい風に吹かれるたび、ふぁさ……と枝を離れ、降り注ぐように舞い散る。 乱舞する花びらの中へ立っていると、何もかもが嘘のよう。    舞い散る緋。    張り裂けんばかりに見開かれた瞳に、映った微笑み。    ―――大丈夫……                  今度は、大丈夫だから。    嘘はつかない。    ―――そばにいます…… 「綺麗ですね……」 目を閉じて、柔らかな風に花びらが舞う音だけに意識を委ねていると、背後にひとの温もりを感じた。 腕が回される。 大きな右手が左の肩を抱いた。 ―――温かい…… 「何度目になるかなぁ……」 目は閉じたまま、少し仰のいて呟く。 斜め上から降りてきた唇が、その余韻をふさいだ。 ただ、触れているだけ。 気の抜けた穏やかさではない。 からかうような軽さでもない。 そこにあるのは、厳粛なまでの心だった。 今、そばにあること。 これからも、そばにいること。 共に、桜の季節を迎えていること。 これからも、同じ光景に出逢いたいということ――― 「なおえ……」 それだけだ。 「なおえ …… 」  ……            ・      ・    ・  ・ ・ ・ ・  ・   ・      ・ すべてが終わるとき、オレたちは眠りについた。 この爆弾を抱えた体は、暴発は起こさなかったものの、熱量をすべて使いつくして急速に冷えていった。 混沌とする意識の中で、気づいたのは背中を抱きとめる腕と、囁き。 緋に染まった胸に自分を抱いて、おまえは誓った。 何度も、何度も。    大丈夫だから ――― と。 オレをかばって深手を負ったおまえ。 一面が緋に染まる。 苦痛に歪む顔の下から、おまえは満足そうな笑みと悔恨のような苦しみを浮かべてオレを見た。 頭が真っ白になる。 二度と、と叫んだあの悪夢が怒涛のように押し寄せる。     前にも同じことがあった―――          こんな悪い夢を見た――― 馬鹿な…… まさかまたおまえは繰り返すというのか。 オレをひとりにするのか。 死ぬのはオレの方が先だろう? 這ってでも生きて生きてすべてを見続けてやるけれど、もし仮に死ぬとしても、 オレが先のはずだろう? 魂が燃え尽きるそのとき―――。 それなのに…… どうしておまえが倒れてる? 胸を真っ赤に染めて、失血に白くなってゆくその顔。 流れ出る緋は、おまえの命そのものを象徴して――― かつてオレを狂わせたあの萩が、フラッシュバックする。 阿蘇の業火が、脳裏を焼く。 『―――!』 脳天が焼けて、迸る叫び。 とどめることもできない、底無しの叫び。    おかしく、なる。    暴発する …… ! ―――けれど、おまえは手を伸ばしてきた。 『……大丈夫―――今度は、大丈夫だから……』 地獄を生み出そうとしていたオレを、その言葉で引き戻す。 『離れてはいきません―――』 私はいつでもあなたの背中を守っています。 だから―――すべてを片づけてきてください。 前だけを見て。 後ろには私がいます。いつも、いつでも。これまでそうしてきたように、これからもずっと。 今も。 あなたは何も心配しないでいい。 背中はいつも私が守りますから。 だから、前だけを見ていて。 さあ―――! おまえを置いて、オレは走った。 泣きながら。 そのあとの戦い方は、無謀だった。 命なんて、とうに捨てた動きだった。 ――― 一刻でも早く、あいつのところへ戻らなきゃ。 そのためになら、死と紙一重の無茶も、無茶じゃない。 いっそ、間に合わないくらいなら死んだ方がましだ。 がむしゃらに命を燃やして、魂のことなんてすべて懸けて。これが最後だと削り尽くして世界を包む。 叫びで一杯にする。 すべての怨霊の想いを受け止めて、なおかつ揺るぎない道など―――無い。 生きたいと思う。 叫びたいと思う。 訴えたいと思う。 だから『生き』ようとする。 誰もそうだ。 その想いを誰に否定することなんてできるだろう? 憑依 換生 それらを否定することはオレにはできない。 おまえと共にあるために、たぶんそれだけのために、あらゆる理を曲げ続けてきた。 自らの存在を確かなものにするために、おまえと共にありたかった。 自分で自分を大切にできないから、誰かに大切にしてもらわなけりゃならなかった。 それもただの人間ではだめだった。 おまえくらい容赦の無い求め方をする人間でなけりゃいけなかった。 代わりは利かない。 おまえだけにしかできない。 だから、喪えなかった。解放してやれなかった。 傷つけて、憎しませて、そうしてでも離すまいと鎖に繋いだ。 そんな必要、なかったのかもしれないけれど。 怖かった。 素直になったら、穏やかな満ち足りた時を持ったら、じきに飽きてしまうのではないかと。 静かな想いなんて、弱くて脆いものだと。 憎しみでもいい、殺したいほど強い想いでないと長く繋がっていることなどできはしないと。 だから、わざと傷つけた。 どうしようもないほど憎まれたいと。激情を抱かせて、オレひとりしか目に入らないように。 殺意でもいい、食い込むほど激しい心を以ってオレを見続けているように。 ―――けれど、 騙しあいでも、化かしあいでも、傷つけあいでもなくなった今でさえ、とうに断ち切れても 仕方のないはずの絆は、よりいっそう強固になるようだった。 ますます、絡みあってゆく。 すべてだ。 おまえという存在が…… もう離れられない ――― たぶん、望むものはあまりにも些細なことで、このうえなく傲慢なこと。 ただそれだけのことでさえ、自分には望む価値はない。 これまであまりにも罪を重ねすぎた。 多くの人を巻き込み、犠牲にして、自分たちはここまできた。 あまりにも罪深いオレたちに、救われる日は来ないのかもしれない。 オレの求め方は傲慢で尊大で、度を越している。 存在すべてをオレにくれ、とこの体は叫ぶ。 オレだけを見て、オレだけを想え。 そんなぎりぎりの要求を突きつけている。 骨まで食らい尽くしてもまだこの渇きは癒えないのかもしれない。 願いは一つ。 共にありたい。 他には何も要らない。おまえをオレにください……。 叫んで、すべてを解放する。 何もかもを飲み込むほど強い想いを、世界中に叫び撒き散らして、一切がホワイトアウトする …… 魂を燃やした、さいごの《調伏》。 この世の未練のすべてをこの身に受けて、純粋になった霊たちを天へ解放する。 重い荷物を捨てたなら、飛んでゆけるはず。 何もかも、この身に置いていけ。 すべてこの中に捨てていけ。 構わないから。全部飲み込むから。 ……自らの想いに狂うより、許容量のすべてを他者の重みで埋め尽くして一杯にしてしまった方が、どれほど楽か。            ・      ・    ・  ・ ・ ・ ・  ・   ・      ・ そうしてすべてを終えたら、もう魂の熱量は殆ど残っていなかった。 膝をついて、ゆっくりと倒れこむ。もう瞳には何も映らない。それでも指先だけは微かに彷徨っておまえを探している。 『なおえ……』 おまえのところへ戻りたい。 待っているものが亡骸でも。抱きしめて、そばにいたい。 一緒に……眠りたい …… 自分を映す鏡だったおまえに今、硝子を突き破って腕を伸ばす。 オレはオレのためにおまえを愛したんじゃない。 今なら、言える。 おまえを愛している。 『遅い……よ、な……』 自嘲気味に呟いた。 まさに今、終焉を迎えているというときになって、伝えたいことがあるなんて。 乾いた唇を少し吊り上げて、瞼を下ろす。 もう意識が保てない。 とうとう、終わりか……。 『なおえ……』 急速に沈み込んでゆく感覚の中で、誰かがオレを抱き起こすのを感じた。 目は見えない。 けれど、わかる。 この腕は―――おまえだな…… 『大丈夫です……もう、大丈夫……』 私はここにいます。 そばにいます。 囁きは甘い子守唄。 ゆっくりと、堕ちてゆく ……      ゆ        っ          く            り              と                 ・                  ・                    ・                      ・            ・      ・    ・  ・ ・ ・ ・  ・   ・      ・ オレは三十年後に目覚めた。 軽い掛け布団の下、ざくざくした感触の枕に頭を預けて。 傍らにはおまえ。 明るい日の光が差し込む、海辺の家。 大きく開かれた窓辺では白い薄手のカーテンが風になびいている。 「ここは、どこだ……?」 呟いて身を起こそうとする。 愕然とした。 これが本当に自分の体なのか? 全く力が入らない。 まるで借り物だ。筋力が著しく低下しているらしい。 とても体を起こせるような力はない。 ―――え? はっとオレは目を見開いた。 ―――どうしてオレは生きている !?  魂核の終わりを迎えて消えたはずの命だ。 なぜここにある? ―――それも、仰木高耶の体のままで。 オレはまだあの体のままだった。 とうに壊れてしまったはずの、この体。なぜこうしてこのままある? そして…… 傍らへ首だけを回して目をやる。 「なおえ……」 橘義明の体がそこにある。 無造作に枕の上へ広がっている茶色の髪。男でもみとれるような端整な貌。 伏せられた睫毛の一本一本まで、クリアに見て取れる。 視力も失ったはずの最期だったのに。 どうしてか再びこの愛しい肉体を映すことができている。 涙が溢れてきた。 そうして言葉もないまま直江を見つめていると、 「―――景虎っ!」 ばたん、とはじけ飛ぶように扉が開かれて、女性の声が飛び込んできた。 「誰だ」 自由にならない体にもどかしい思いをしながら、首をそちら側へ回す。 入り口のところで息を切らせているのは、たった今まで台所へ立っていたらしい、 エプロン姿の女性だった。 「かげ……とらぁ……」 見開いたその双眸から、透明な涙があふれて落ちた。 年の頃は二十代の後半。 さらさらと音をたてて揺れる、ストレートな髪は、肩にかかるかかからないかといったところ。 活動的な感じの美人だった。 見知った顔ではない。 ―――けれど、一目で知れた。 「ねーさん……」 涙をぼろぼろこぼしながら自分の枕元へ突っ伏した彼女に、オレは呟いた。 間違いない。 宿体は変わったが、これは晴家だ。 一体この状況が何なのかはわからないけれど、確かにここにオレたちはいる。 ―――あれ、あいつは……どうしたんだろう? 「ねーさん、千秋は……長秀は?」 問うのとほぼ同時に、 「よう、お目覚めか?大将」 体の中から応えが返った。 「 !? 」 思わず体を強張らせると、相手はするりと抜け出してオレの枕元に立った。 ―――というより、浮かんだ。 「千秋 !? 」 千秋は―――長秀は―――霊体だった。 既に失われた『千秋修平』の姿を保っている。 あのまま換生せずにいるのだろうか。 「なぁに変な顔してんだよ。寝ぼけてんのかぁ?」 千秋はにやにや笑っている。 からかうような口ぶりは前のまま。 何も、変わってない…… 千秋……! 理由もなにもわからないけれど、オレたちはこうして在る……            ・      ・    ・  ・ ・ ・ ・  ・   ・      ・ オレが眠ってから、三十年。 ねーさんはあのときに門脇綾子の肉体を失って、今は次の体にいる。 長秀は……あのときのまま、千秋修平の姿で霊体を保っていたらしい。 もう面倒になったんだよ、換生は、なんてうそぶいていたけど、オレは知ってる。 あいつが霊体でいた訳を。 オレの魂核はあのときに殆ど消滅していた。 もう既にぎりぎりの限界に達していた魂だ。 すべての熱量を使い果たしただろうと思っていたけれど、あの男が最後の残り火を掬い取って いたらしい。 ほんの僅かなその火を、あの男は必死になって抱き続けて、その執念だけで繋ぎ止めたのだ。 けれどそれには想像を絶するような力が必要だった。 それこそ自らの維持すら危うくなるほどの。 オレをかばって既に深手を負っていたあの男には到底続けられないことだった。 ―――いや、 自分が倒れることくらい、直江は構いはしなかったろう。 オレが止めろと嗄れるまで叫んだところで、止めはしない男だ。 けれど、おまえが死んだらオレも目覚めはしない、ということはわかっていたはず。 だから、直江は自らを死なせることはできなかった。 ほかに方法がなければ、目覚めた途端に発狂しかねないとわかっていても強行したかもしれないが。 千秋は、それを引き受けて霊体を保ち続けたのだった。 オレの魂の欠片を自らの内に抱きこんで、根気よくあたため続けたのだ。 ちょうど、親鳥が雛を抱くように。 消えかけたか細い火を、ゆっくりと育てて、三十年…… そして直江は、自らを『凍結』していた。 オレが目覚めるまで、今生を終わらせるわけにはゆかないから、と。 オレの体の横に自分を横たえて、二人一緒に氷の夢を見てきたのだった。 オレはゆっくりと指を伸ばした。 いとしい肉体。 たぶんこれまですべての時間を凝縮して刻み込んでいる、この体。 歴史を刻んだ、肉の下では、涙が出るほど愛しい鼓動が確かなリズムを踏んでいる。 いつの頃からか深い皺が刻まれるようになっていた眉間は今、安らいで幸せな夢を食んでいるよう。 伏せられた瞼にも、微笑みが宿っている。 「なおえ……」 ようやくそこまでたどり着いた指先で、唇をなぞる。 数々の言葉を生み、そのたびにぶつかりあい、                        傷つけあい、                えぐられて、                      包まれて、          抱かれて、                   救われて、    ―――あたためられてきた、くちびる…… 「なおえ …… 」 指を戻して、自分の唇に触れてみる。 ゆっくりと、なぞる。 そして、 もう一度指を伸ばして、おまえの唇をなぞってみる。 直接には届かない、キス。 かわりに、指で…… …… ゆっくりと 瞼が 上がる ……            ・      ・    ・  ・ ・ ・ ・  ・   ・      ・ 淡い紅が、舞う。 ひらり      ひらり    ふぁさ…… さあぁ…… 綺麗だ、と思う。 舞い散る白い花嵐は、そのそれぞれが人の想いをのせている。 悲しみも、苦しみも、すべては等しく舞う。 風に翻弄されて、降り注ぐように散っては、吹き上げられて高く解放される。 その嵐の中に立っていると、何もかも一切が綺麗に剥がれ落ちる気がする。 余計なものをすべてひとつひとつ引き剥がして、たったひとつの光だけが残る。  なおえ…… 見上げた傍らの顔が、こちらを見た。         なおえ ……                    ……

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