priceless





「いらっしゃいませ、こんにちは」
 弾んだ声と最大級の笑顔を。
 安さと早さと共にファーストフードが誇る最大のサービスである。
 昨今のファーストフードの価格競争は本当に凄まじい。そしてそれだけではやっていけないのもまた事実である。店員のサービスが客足に及ぼす影響を知っているから、指導の行き届いた心地良いサービスは店の売りにもなっていた。
 今日も直江信綱――こんな店には似合わないエリート風情の男は、そのファーストフードに足を運んでいた。
 昼時の店内は、日頃と変わることのない賑わいを見せている。直江は列の最後尾に並んで、レジに立つ青年を見つめた。
 今日も彼は笑顔でその場所に立っている。
 直江は嬉しくなりながら、己の順番を待つことにした。
 そもそも直江が似合いもしないファーストフードに足繁く通うようになったのは、その青年の笑顔を見るためだった。彼の笑顔を見るためなら、似合わなかろうが、格を落とそうが、毎日だって通う覚悟の直江である。
 実際、直江は青年がバイトに入る時を狙って通うことにしている。最初は毎日通い、彼のシフトを割り出した。以来足繁く通ったおかげで、彼には顔を覚えて貰って一言二言会話する間柄となった。
 否、顔を覚えて貰ったのは毎日のように通ったからではなく、最初のインパクトからかも知れない。第一印象はきっと「変な奴」だっただろう。



 それは今から2ヵ月前のことだった。直江は悪友の千秋修平と門脇綾子に連れられてこの店に来た。
 無論こういった店に入るのは直江にとって初めての経験で、無理矢理連れて来られさえしなければ、一生用のない場所だったのは間違いない。それだけ直江という男は容姿から想像する通りのエリートであり、金持ちであった。コーヒー1杯ですら500円は下らない物しか飲まないという具合の。
「何だよ、直江。ファーストフードは初体験かぁ?」
 千秋が揶揄うように言った。
「悪いか」
 直江は向かいに座りながらそう答える。
「マジかよ」
「やぁね。これだから金持ちは〜」
 千秋と綾子は嫌だ、嫌だと呆れるように溜息を吐いた。
「俺にいつでもたかっているのは何処のどいつだ」
 直江も呆れたようにそう返す。
「今日はあんたが賭けに負けた所為でしょーが」
「そうだ、そうだ。いっつもたかってるワケじゃねぇぞ」
 と、ブーイング。
「あぁ、そうだな。で、今日は何故ファーストフードなんだ?」
 こいつらに何を言っても無駄だ、と直江は本題に入ることにした。
 賭けに負けてファーストフードで済んだ試しは今まで1度たりともない。料亭だの高級中華だの、最近話題のレストランだの、下手すると何十分も並ぶケーキ屋などに連れて行かれる。にも拘らず、今日に限ってファーストフードなど絶対におかしい。というか怪しい。何か企んでいるのはまず間違いない。
「ん〜?」
「絶対に何かあるだろう。何を企んでいる」
 そう言って問いつめれば、2人は意外に簡単に口を開いた。
「っとに、旦那は話が早く助かるね〜」
「今回はここのお昼で許してあげようと思うんだけど、ちょっとした条件があるのよねー」
「条件?」
「そうよ。それを満たしてくれれば漱石2枚でおつりが来るわ」
「そうそう。優しいだろ、俺たち」
 2人は口々にそう言ったが、はっきり言って優しければ最初から奢らせたり、変な条件をつけようとはしないだろう。直江は適当に頷いて見せながら、溜息を吐きたくなった。
「どんな条件なんだ」
 この2人のことなので、その条件とやらは無理矢理にでも飲ませられるだろう。だったら無駄な抵抗はしない方が懸命だ。
 千秋と綾子は互いに顔を見合わせ、言うタイミングを計っている。コホンと1つ咳払いをした後、千秋が勿体つけるようにゆっくりと口を開いた。
「俺たちの分を含めて、おまえが1人でオーダーしてくる。それが条件だ」
「? それだけか?」
 どんな無理難題を吹っ掛けられるかと心配していた直江としては、願ってもないほどの好条件だった。疑問に思うのも無理もない。
「そ。それだけよ」
「本当にそれでいいのか?」
「あぁ。今回はその条件さえクリアしてくれればここの代金で賭け分はチャラ。好条件だろ?」
「好条件過ぎて怖いくらいだがな」
 直江は口の端を微かに上げた。
「どうするよ、旦那」
「ふん。どうせ何を言ってもやらせるつもりだろ、おまえらは」
「正解」
 悪びれることもなく千秋は笑う。
 予想通りの答えに直江は苦笑を禁じ得なかった。
「何を買ってくればいいんだ?」
 了承の合図だった。



 千秋と綾子の出す条件がそう簡単なものである筈がないと、直江はわかっていたつもりだったが、まさかこういうことだとは思いもよらなかった。
 千秋たちが注文した物。チーズバーガーセットで飲み物はアイスティー、フィレオフィッシュセットで飲み物はコーラ、それからアップルパイとチキンナゲット……ここまではいい。ここまではごく普通の注文である。問題はこの後だった。
 スマイル1つ。
 ――それはいったい何の嫌がらせだ。
 確かにメニューの片隅にはスマイル0円の文字が書かれている。しかし、これを頼む輩は絶対にいないだろう。
 どう考えても嫌がらせだ。その証拠に、千秋と綾子は今にも吹き出しそうな顔で成り行きを見つめている。本当に悪趣味な連中だ。
 直江はレジに立つ店員を見つめて、顔には出さずに途方に暮れた。
 レジに立っているのは、20歳前後の青年と中年女性の2人。如何にも融通が利かなそうなその女性に比べれば、まだ青年の方がマシだろうと直江には思えた。
 慣れた様子で接客に勤しんでいるその青年は、ファーストフードで働く今時の若者には珍しく黒髪をしていた。整った顔立ちとプロポーションをしていて、雑誌のモデルだと言われても頷けるようなタイプだ。名札には「仰木」とある。切れ長の瞳が酷く印象的な青年だった。
 直江はその瞳に軽蔑の眼差しを向けられるのは御免被りたかったが、所詮は赤の他人、一時我慢をすれば良いだけの話だと割り切ることにした。ここが直江の日頃からのテリトリーならともかく、2度と来ることもないだろうと思えば一時の恥くらい何でもない。
 昼を少し過ぎた店内は人も疎らで、レジの前には列もできていない。直江は青年のレジの前に立った。
「いらっしゃいませ。御注文はお決まりでしょうか?」
 お決まりの文句を告げる青年。しかし直江はファーストフード初体験のため、酷く新鮮且つ戸惑いを感じさせた。
「は、はい」
「お持ち帰りですか? 店内でお召し上がりですか?」
「……ここで」
 やっとのことでそう伝えると、青年はトレイを目の前に置いた。その上に注文の品を置くのだろう。
「えぇと……チーズバーガーセットとフィレオフィッシュセット、それからアップルパイとチキンナゲットを1つずつ……」
「セットのチーズバーガーとフィレオフィッシュ、それから単品でアップルパイとチキンナゲットですね。セットのお飲み物は何に致しますか?」
「あぁ……えぇと、アイスティーとコーラで」
 2人に頼まれたものを思い出しながら、直江はメニューと青年の顔を見比べた。
「アイスティーはレモンとミルクが御座いますが?」
「……あぁ、レモンでお願いします」
 そんなことまで頼まれていなかったが、わざわざ聞きに戻るのもどうかと思い、直江は適当に答えることにした。後で文句を言われても知ったことか。
「ナゲットのソースはバーベキューとマスタードが御座いますが、どちらに致しますか?」
 青年は接客業特有の笑顔を貼り付けながら、次々に質問をして正確なオーダーを取る。慣れているのだろう、手際が良い。
「御注文は以上でお揃いですか?」
 その問いに直江はハッとさせられた。
 青年に問われるまま答えていたため、件のスマイルを頼み忘れている。背中には2人の不躾な視線が突き刺さっていた。……このままではまずい。
 直江は自分の品をオーダーしてないことを思い出し、ついでに言ってしまうことにする。
「あ、それからホットコーヒーと……」
 ゴクン、と唾を飲み込んで、目の前の青年を見た。スマイルを、なんて言ったら彼はどう対応するのだろう。
 軽蔑? 嘲笑?
 それとも本当に笑ってくれたりするのだろうか?
 どうにでもなれ、と直江は開き直り、作り笑いを浮かべてその言葉を口にした。
「スマイルを1つ」
「…………」
 その瞬間、2人の間の空気が凍った気がした。沈黙が落ちる。
 青年は驚いたように目を瞠って直江を見ている。
 だから嫌だったんだ、と直江は頭を抱えたくなった。場を取り繕おうと思っても、何と言っていいかわからない。
「……その…………」
 直江がとりあえず何か言おうと口を開いたその時――。
「スマイルですね」
 そう言って、青年は今までに見せていた接客用ではない鮮やかな笑顔を見せたのだ。
 それはプロ意識だったのか、それとも直江のギャグだか罰ゲームだかに付き合おうとしてくれたのか。
 直江は瞠目して青年を見つめた。
 その作り物でない笑顔を見た瞬間に、直江は知らずに恋に落ちたのだ。



 というわけで、それから2ヵ月。
 直江は毎日のようにこの店に通い、高耶との距離を少しずつ縮めることに成功した。
 店員と話をするまでに至るにはなかなか努力を必要としたが、直江は全く苦にならなかった。それどころか、毎日が楽しくて仕方なかった。
 彼の笑顔を見ることが直江の毎日の楽しみになったのだ。
 名前や年齢なども、日々の会話の中で聞き出すことに成功した。仰木高耶、19歳。フリーターらしい。大検を取るために勉強をしているとか。
 そうして毎日増えていく彼の情報にも、直江は酷く満足していた。こんなにも時間を掛けて口説こうとしている自分が不思議なくらい。
(あぁ、高耶さん。今日も素敵な笑顔で……)
 直江はうっとりと高耶を見つめた。
 笑顔を絶やさずテキパキと働く高耶に、直江は現在進行形で夢中である。この数分が至福の時とばかりに、自分の順番を待ちながら高耶を見つめる。
 1日500円かそこらで昼食を取りつつ、至福の時間を味わえるとは全く安いものである。どうせ食べるなら美味い方が良いし、そのためには金に糸目をつけない直江だが、本来食べるという行為にあまり執着もないので、現在の食生活にも何ら不満はない。
 ただこうして毎日のように高耶の笑顔を見られるのは、直江にとって幸福なことでしかなかった。そこには金では買えない価値がある。
 順番まであと1人となったところで、働く高耶の横顔を見つめて頬を弛めていた直江の耳に、トレイを持って隣を抜けていく女子高生2人の会話が聞こえてきた。
「今日もいたね〜」
「いたねぇ、ラッキー」
 スカートを限界まで短くした頭の悪そうな少女2人は、そんなことを言いながらきゃいきゃい騒いでいる。
 何だ、と眉を顰めながら直江はそちらを見た。女子高生は守備範囲に入らない直江にとって、その存在は五月蠅いだけの存在だ。今となっては高耶以外守備範囲に入りはしないのだが。
「やっぱりィ、どうせならイイ男にレジ打ってもらった方が気分いいよね〜」
「同じ金払うんだもん、目の保養でしょー」
「ねぇ〜〜」
 聞き流そうとしていたところにそんな会話が聞こえてきて、直江は思わず女子高生を凝視してしまった。
 彼女たちが並んでいたのは直江が並んでいる列だった。つまり、彼女たちのいうイイ男とは高耶のことである。
 これは由々しき事態だ。
(こいつら、俺の高耶さんを……っ)
 直江のものになった覚えはないだろうに、勝手に自分のもの扱いして直江は女子高生たちを睨み付けた。
 女子高生たちは直江の射殺しそうな視線にも気付かずに、楽しそうに話を続けている。

 直江は今まで気付かなかった事実に今、気付いてしまった。

 そうなのだ。接客業である以上、高耶の笑顔は直江のだけのものではない。直江のように高耶を慕う人間がいてもおかしくはないのだ。
 いや、いて当然のような気がする。何故なら高耶はあんなにも魅力的なのだから。
 そう思うと、直江はいてもたってもいられなくなってきた。あの女子高生たちだけではない。目の前のサラリーマンも、後ろの男子高生ももしかしたら高耶目当ての客かも知れない。
 スマイルはこの店の売りだ。メニューにスマイル0円と書いてしまえるほど、店員のそれは名物に近い。それでなくてもそのスマイルに惚れた直江としては、それが他の人間にも無料で与えられるものだということが、今になって許せなくなってきた。
 スマイルをください、と言われれば、高耶は自分に見せたような笑顔をも他の誰かにも見せるのかも知れない。幸せに思えたその時間も、他の誰かにも同じように与えられるものだと思えば嫉妬の方が先に立つ。
 高耶の笑顔が欲しい。他の誰かにも与えられるものではダメだ。自分だけの高耶の笑顔……いや、笑顔だけではない。彼の感情の全て、彼の全てが欲しい。
 今すぐにでも高耶の全てが知りたいと直江は思った。もう、ゆっくり時間を掛けて口説こうとは思えなくなっている。
 前のサラリーマンがトレイを持って去っていった。いつの間にか直江の順番だ。
「いらっしゃいませ、こんにちは」
「こんにちは」
 笑顔を見せる高耶に、直江も笑顔を見せた。
「あ、いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそいつもお世話になってます」
「もう、何言ってるんですか。今日はお持ち帰りですか? それとも店内で食べて行きます?」
 その少し砕けた言葉遣いに微笑ましく思いながらも、直江の心のモヤモヤは広がっていくばかりだ。
 自分の他にも親しい人間が客にいるかも知れない。それ以前に、高耶にプライベートで親しい人間はどれだけいるのか。
 自分が彼の1番になりたい。
「持ち帰りで」
「お持ち帰りですね。御注文はお決まりですか?」
 直江は思いつくまま口を開いた。今1番欲しい物の名前を告げる。
「……高耶さん」
「はい」
 名前を呼ばれたと思ったのだろう、返事をする高耶に、直江はもう1度欲しい物を告げた。
「……あなたを」
「はい?」
 高耶は不思議そうに直江を見ている。
「あなたを、TAKE OUTさせてください」
 そんな高耶の手を取って、直江は熱い眼差しではっきりとそう告げた。
「はい〜〜〜〜〜!?」
 とんでもないオーダーに、高耶は驚きの声を上げる。当たり前だ。ファーストフードでそんなオーダーは前代未聞である。
 唖然とする高耶を余所に、直江は無理矢理高耶をカウンターから引きずり出した。
「ちょっ、直江サン!?」
「いいから、一緒に来てください」
 直江は高耶の腕を引き、そのまま入口に向かって歩き出す。無謀だろうが恥晒しだろうが知ったことではない。
「え、ちょっと、待っ、オレまだ交代の時間じゃねぇんだけどっ」
「仰木くん!? ちょっとお客さん!?」
 慌てる高耶の声も、背中に聞こえる店長らしき人物の声も、直江の耳には届いていない。高耶の腕を取ったまま、颯爽と店内を去っていく。
「ちょっと、おい、直江サンっ、直江っ」
 力強く掴んだ腕は、高耶がちょっと暴れたくらいで放れることはない。しばらく騒いでいた高耶だが、無駄なことがわかり諦めるように次第に大人しくなっていった。
 溜息を漏らして、小さく高耶は呟いた。
「んだよ、明日からバイトどうすりゃいいんだよ……」
 公衆の面前で男にお持ち帰りされてしまった男として、皆の記憶にインプットされてしまっただろう。しかもバイトを途中で抜けたとあっては、最悪の場合クビということも考えられる。
 だが、はっきり言って、高耶が心配すべきはそんなことではない。これからの己の身を案ずるのが一番だろう。というか、大人しく付いてきている場合ではない。
「どうしました? 高耶さん」
「そりゃこっちの台詞だ!」
 直江が満面の笑みで問うと、高耶は当然ながら怒鳴りつけてきた。
 しかし高耶のお持ち帰りに成功した直江は、上機嫌で聞く耳を持たずという感じである。
 この男がいったい何を考えているのか、これから何をしようとしているのか、高耶にとっては知らぬが仏というヤツだろう。
「オレのバイト代……」
 直江の愛車に乗せられながら、高耶は恨めしそうに呟いた。が、きっとそんなことはあと数時間後には気にならなくなっている……気にすることもできなくなっているに違いなかった。


+ END +


*コメント*  by. Hisaki sama
「SUGAR PINK」も2周年を迎えることができました。有難う御座いますv
2周年アンケートへ御協力くださった皆様に、こちらの小説を捧げます。
貰ってやってください。
今回のお話は某ファーストフードのアルバイター高耶さんとその客直江の
……えぇとこれは恋愛話とは言い難いですね。ギャグです、はい(汗)。
スマイルを頼む直江とか、高耶さんをお持ち帰りする直江とか…。
昔スマイル0円てメニューにあったよね、というようなお話です。
罰ゲームで頼みに行った同級生がいたので思いつきました(笑)。
最終巻直後と言うことで、リハビリに明るいネタ書かせて貰いました。
少しでも気に入って頂けたなら幸いです。
あ、ちなみに今後の高耶さんの運命はきっと皆様のご想像通りで(笑)。

*コメント*  by. Shouka
と言うものを頂いてしまいました(>_<)
アンケートに答えただけというのに、こんなに素敵なものをっ!
考えてみれば、緋咲さまのサイトとのお付き合いも、
二年近くになるのだなぁと、こっそりひとりで嬉しいです。
それにしても、このお話素敵ですよね!
私もマクドナルドに行きたい!
高耶さんをお持ち帰りしたい!!!!


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