「泣かないで・・・・・・」

次第に霞がかかっていく視界の中で、唯一つ色褪せることない愛しい人の姿に微笑みかける。

少しの間、あなたの傍を離れなくてはいけないけれど、でも必ずあなたの元へと戻ってくるから。
悠久なるナイルの流れに誓うから。

「だから、泣かないで・・・・・・」

――愛してます、誰よりも・・・・・・

意識が高い空へと引っ張られていく最期の瞬間、その瞬間瞳に映っていたのは、愛しい人の顔だけだった。






明け方の神話

〜1〜






小さい頃から見ていた不思議な夢。
その舞台が実在する場所だと知ったのはいつだっただろうか。
大きな獅子の像と山のような石の塊。テレビを通じて現実世界で目にするよりも前に、自分にとってはすでに慣れ親しんだものへとなっていた。まるで、もう一つの故郷のように。

なのに、訪れたいとおもうその一方で、いざ行こうとすると、不思議なほど足がすくんだ。恐れか、それとももっと別の何かか。
けれど。
最後の肉親であった母親が死に、大学生の頃に何かに急かされるように起こした会社もこの十年で成長し、軌道に乗り、自分の腕がなくとも優秀な部下達だけでも動かせるようになった。
そして、気が付いたのだ。
これで、自分がこの世界にいる必要はなくなったと言うことに。
その事に気が付いた時、ようやっと、かの土地へと行く事が出来ると思った。

母は、自分をこの世界に留める為の歯止めだった。
彼女よりも先に、この世界を去るわけにはいかなかったから。

会社は、自分の生の証だった。
行った先から戻ってこれなかったとしても、確かに自分がこの世にいたという証を作りたかったから。

だから、それらすべてが終わった今、ようやっとあの土地へと還ることが出来る。




エジプト、ギザ。
空港のあるカイロから車で一時間ほどの場所にあるそこは、三大ピラミッドがある場所として有名な場所だ。
ピラミッド自体は見つかっているだけでも六十基ほどあるが、その中でもピラミッドの中のピラミッドとされているのが、この三大ピラミッドのうちの一つであるクフ王の大ピラミッドたった。正確な四面体の外見は基礎部分の四角形の一辺が230mにも及ぶ。熱砂の砂漠の中に佇む重厚なその姿は、まわりが多少整備されたところで、少しも色褪せることがない。
何千年もの歴史が確かに、そこには存在する。

そんなピラミッドを望むことの出来るホテルの一室に、男は泊まっていた。メナ・ハウス・オベロイ、ピラミッドエリアを代表する老舗のホテルだ。
ギザに着いた翌日。男はホテルで朝食をとると、胸元に刺していたサングラスかけて、ホテルの外へと出た。まだ八時になったばかりで、砂漠に囲まれている場所柄、夜は気温が下がる為、早朝の今はまだ昼間のむせるばかりの熱さは身を顰めている。
その中を、ピラミッドを見ながら歩いていき、エリア入場料を支払うと、今度はクフ王のピラミッドのチケット売り場へと向かった。一日300人と入場制限を掛けられているピラミッド見学だが、中途半端な時期のせいか、それほど混んではいない。その事にほっと溜息をついて、入口の前に立ち、頂上を見上げてから、辺りを見回した。周りでは老年の夫婦がピラミッドの写真を取ったりしている。いたってのどかな雰囲気だ。
ピラミッドが作られたころのあの喧騒とは程遠い時間が辺りには流れている。それは歴史の重みと取るべきなのだろうか。それとも、時の流れ、なのか。
ふと浮かんできたそんな考えに、男は首をかしげる。
一体何が、自分にそんなことを思わせているのだろう。ピラミッドが作られたころのことなど知らないのに。

――やはり、あの夢の影響だろうか?久しぶりに見たあの夢。

今朝見た、かつてはよく見ていた夢を思い出し、それからわずかに口元を歪めると、男は迷いを振り切るようにピラミッドの内部へと踏み込んだ。




中に一歩踏み込んだ途端、ヒヤリとした質感を伴った空気が男を包み込む。まるで草原の朝のようなその空気に驚いて思わず目を瞑り、ゆっくりと目を開けると、石で囲まれた空間が目に入ってきた。匂いをかぐようにあたりを見回したが、先ほど感じた不思議な空気はすっかり消え去っている。
だが、
(人がいない?)
自分より少し先に入っていたはずの見知らぬ夫婦や、中にいても良さそうな管理の人間も誰もいないのだ。もしかして、入口に突っ立っている間に、奥へと進んだのかもしれないと突き当りまで進んで、階段を昇り、大回廊までやってきても人影の一つも見えない。今まで一度も来た事がないために、普段が分からない男は、おかしく思いながらもそんなものなのだろうと、無理矢理に納得し、内部の見学を始めた。

内部が見れるようになっているとはいえ、分かってないことも多いうえに、重要な歴史的建造物だ。どこでも好き勝手に見れるわけではない。見れるのはほんの数箇所だ。
何もない王妃の間を覗き、それからやはりだれもいない大回廊の階段を王の玄室に向かって上っていく。狭く長いその通路は傾斜も急で結構危険だったりする。はきなれた靴、動きやすい格好で来るようにと観光案内に書いてあるのはけして誇張ではない。
46mもあるその階段を昇り終え、天井の低い通路をくぐった瞬間、ぐらっと地面が傾いだのを感じて、男は思わず近くの壁に手をついた。地震かと思ったが、違う。揺れているのは、自分の視界のほうだ。回る視界で何とか辺りを見回した男は、赤い花崗岩で作られているこの部屋全体が共鳴していることに気がついた。




――部屋が何かを訴えるかのように共鳴をする。

男の奥底に埋もれているものを掘り出そうとして――


::続く::


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