虹 追 人(にじおいびと)




気が重いな・・・

美月は重い足を引っ張りながら、そう溜息をついた。
特に何か困っていることがあるわけではない。すべてのことが表向き穏やかに流れているといえるだろう。
けれどそれはつまり裏を返せば、すべてがうまく行っていないと言う事に他ならないのだ。
大きくはずしてしまうのが恐いから、少しずつ少しずつ、軌道修正をしていって、そうして気がついたら、すべてが自分の希望とは大きくかけ離れている。
だから、穏やかな流れの裏には、後悔にも鳴りきれなかった、くだらない、情けない嘆きだけが詰め込まれていく。

――はぁ・・・

溜息が漏れる。
(坂の上にある大学になんか来るんじゃなかった)
一生懸命に勉強して受かったはずの大学なのに、だらだらとこんな坂道を登っていると、そんなことを考えてしまう。沈んだ気持ちがそれに拍車をかけて、自分がここにいるのは間違っているのだとまで思わせる。
(1年の時はそれでも、晴れ晴れしい気持ちで、毎日この坂道を登っていたはずなのにな)
まだ続く坂道を見上げて、美月はまた、溜息をつく。

そしてふと、見上げた視線の先に、今まで気がつかなかった人影を見つけて、首をかしげた。
ここはもう、大学の敷地内なのに、底にいるのはどう見ても小学生ぐらいの男の子なのだ。
近くに住んでいるのだろうか。
すぐそこに職員用の社宅もあることを思い出して、そう思う。
けれどやっぱり、違うような気がする。
というのは、その男の子の格好が近くの子と言うには、ちょっと変わっているのだ。まるで子供の頃に読んだ本で見たような、不思議な格好。たっぷりの布で体を覆って、大きなリュックをしょって、水筒のような皮袋を腰からぶら下げて。頭の上には布で作られた帽子のようなものが、乗っかっている。
始めはそんな不思議な格好に目がいって、それからようやっと男の子振る舞いに気がついた。坂の上から街のほうをきょろきょろと見回している。何かを探しているようだ。
なんだか楽しそうなその男の子の様子に、美月は思わずくすりと笑った。
すると、そんな笑い声が聞こえたのか、男の子はくるりっと振り返る。そして、目が合うと、嬉しそうに笑って、坂道を駆け下りてきた。
「ねぇ、おねえちゃん、にじ、知らない?」
「えっ?虹?虹ってあの空にかかる虹?」
突然尋ねられて、目を丸くしながら聞き返すと、「うん、その虹」と、男の子は頷いた。
「ぼくね、虹を探しているの。ずっとずっと、虹を追いかけてきたんだけど、ちょっと目を離したすきにどっかに行っちゃって」
困ってるんだ、とそう言う男の子は、でも楽しそうで、もう一度美月はくすりと笑った。
「どうして、虹を探しているの?」
「う〜んとね、本当は内緒なんだけど、おねえちゃんには教えてあげるね」
小さな子がよくそうするように、その男の子も自分にとって特別な秘密を内緒だよっといいながら、嬉しそうに話し始める。
「あのね、虹のふもとにはえている木にはね、いつもきれいな実がなっているんだって。それでね、その実に触れたら夢に会えるんだよ。だからぼく、虹を追いかけてるの」
「夢に会うために?」
「そう!ぼくはまだ会った事ないんだけど、夢ってきっと、ふわふわしていて、ぬくぬくで気持ちいいと思うんだ。おねえちゃんは?おねえちゃんは夢に会った事ある?」
無邪気な問いに美月は一瞬だけ真っ青な空を見上げると、それからはっきりと頷いた。
「うん、あるよ。夢はね、人によってみんな違うように見えるの。色々な色があって。そうね、ほら」
「「虹みたいに」」
最後の一言は思わず一緒に口にして、ニッと笑う。束の間見つめあって、それから今度は一緒に声を出して笑い出した。
「そっか、だから、虹のふもとに実はなるんだね。あっ、それとも逆かな、みんなの夢がいろんな色を作って、虹になっているのかな」
新しい発見に男の子は嬉しそうに目を輝かせる。
「すごいやぁ。虹ってすごいね。早く捕まえられないかな。ねぇ、おねえちゃん、虹ってどこにあるか知ってる?」
「う〜んとね、虹は雨がやんだあとに出来るのよ」
「雨?」
始めと同じ質問に、美月が知っていることを教えて上げると、男の子は驚いたように瞬いた。それから、嬉しそうに首を竦めて笑う。
「雨の後に虹って出来るんだぁ。なんだか、それも夢に似ているね。雨を養分にして育つんだね。そっか、雨か。よし!雨の匂いならぼく分かるや。おねえちゃん、ありがとう!」
にっこりと嬉しそうに笑いながら男の子がお礼を言うと、それに重なるようにして一陣の風が坂道を駆け上ってきた。美月は思わず目を閉じる。
耳にパタパタという駆け音が聞こえてきた。

風がやんで、ゆっくりと目を開けると、そこにはもう、男の子の姿はなく、空へと続いているのかのような坂道があるだけ。
それに思わず笑みがこぼれる。


慌ただしく虹を追いかけていった男の子に、美月は小さな声で“頑張って”と呟いて、残りの坂道をまた、登り始めた。


end


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