白昼夢


 「寒くありませんか?」
直江の問いかけに高耶はそっと首を横に振った。
その拍子に起きた風に、肩に乗っていた雪が抗う事もなく、うっすらと白く染まった浜辺に落ちていった。

目の前に拡がる荒海。
その荒々しさすべてを包み込むかのように舞う白雪。
それらを見るともなしに瞳に映し、二人は会話もなく、誰もいない浜に立ち尽くす。
いつからいたのかさえも、分からなくなるほど二人は目の前の風景を見ていた。

ふと、今まで容赦なく吹き付けていた風が遮られたのを感じて、高耶は隣を見遣った。
案の定、先程まで自分の後ろを護るように立っていた男が今度は風から高耶を護るようにして立っている。
高耶は、それ以上動きを見せない直江から視線を再び海のほうへと戻し、ふと浮かんできた言葉を唇にのせた。

 「綺麗だな・・・」

言葉は波と風の音にかき消されて直江の耳には届かない。

 「何か、おっしゃいましたか?」

直江の低い声が静かに高耶を包み込む。

 「別に何も・・・冬の海は400年前から何も変わらないな、と思ってさ。」
激しく打ち寄せては散っていく波に思いを馳せるように高耶はそっと、目を閉じた。
 「オレ達のすべてをこの海は見てきたんだ。
  だから、たとえすべてが消えてなくなってもオレ達の想いだけはここに残るんだろうな・・・」

かつては憧れもした“完全なる消滅”を見据えたかのような高耶の言葉に、 直江は知らず知らずに奥歯を噛み締める。
しかし、さらに続いた言葉に俯きかけていた顔を上げた。

 「・・・生きてるんだな。
  後から後から降ってくる雪も、寄せては引く波も、この波の下の魚も微生物も、みんな。
  ・・・もちろん、オレ達もさ。」
そんな単純で大切な事さえも見失いそうだったと、高耶は笑う。

その姿が透けるほど綺麗で、今にも消えてしまいそうで、直江は横から高耶を抱きしめた。
一瞬、直江のぬくもりに固くなった体は、すぐに直江に甘えるようにもたれかかってきて、
高耶の重みをかみ締め、直江は右腕をまっすぐ海のほうへと伸ばした。

 「今日は天気が悪くて見えませんが、天気がいい時はこの先に佐渡島が見えるんです。
  たしか、あなたは最初換生したとき、佐渡島に流された罪人の体だったんですよね?」

尋ねている口調だが、本当に聞いているのではないと分かっている高耶は頷く事もなく、直江の声に耳を澄ます。

 「彼らは何を思いながら、あの牢獄のような島で日々を過ごしたんでしょうか。
  何の自由も許されず、過酷としか言いようのない状況に置かれて。
  ・・・でも、私は思うんです。
  彼らはあそこで“生きている”という事を肌で感じていたんではないか、と。
  毎朝、目覚めて、自分がまだ生きている事を知る。
  息を吸い込んで、胸に満たされる空気を感じる。
  そんな些細な事が“生”へと、繋がったんでしょう。」

 「・・・お前は・・・」

何かを言いかけて、高耶は口をつぐむ。

それでも、その一言で高耶が聞こうとした事を感じ取ったのか、直江は高耶の代わりに言葉を続けた。
 「・・私の、“生”の実感ですか?」

 「あぁ、お前はどうなのかな、と思って。でも、なんか今更な気がして、やめた。」

すこし照れているような、拗ねているような高耶の言い方に直江は笑みを浮かべる。

 「・・・オレの“生”はお前に起因して、お前に帰結する。お前もだろ?」

当然のことのように言い切る高耶に直江は強く抱きしめる事で応えた。
言葉になんか出来ない。
言葉にしたら、胸にあるこの想いが軽くなってしまうような気がした。

 「ねぇ、高耶さん。幸せを掴みに行きませんか?」

突然変わった話に高耶は何の事だ、と腕の中で声の主の方を振り返った。

 「このあたりに、番神堂という、お寺があるんです。
  元は真言宗の妙行寺のお堂だったのですが、日蓮と故あって日蓮宗に帰依し、
  その頃から三十番神堂とされたそこは、番神堂と呼ばれるようになったんです。」
 「あぁ、その話は知ってる。
  たしか、流刑にされた日蓮がその罪を許されて、都に戻るとき、嵐にあって偶然そこに流れ着いたんだよな。
  それで、そこに辿り着いたのは八幡大菩薩の力のおかげだって言って、
  菩薩を中心に29神を合祈して三十番神堂にしたんだろ?」

すらすらと番神堂の話をする高耶に直江は頷く。
いいかげん長いこと生きていると、以外こういう知識はたまるものなのだ。
それでも、次のことは知らないだろうと、直江は話を続ける。

 「それで、そこには色々な言い伝えがありまして、その一つが幸せを呼ぶ蝶なんです。」

 「蝶?」

直江の予想通り、知らないらしい高耶は直江の顔を見上げた。

 「えぇ。お堂の正面を除いた三壁には見事な彫刻があるんですが、その中には一羽だけ蝶がいて、
  その蝶を見つけることが出来れば、幸せになれるそうなんです。」


―――だから、幸せを掴みに行きませんか?


再び、最初に言ったことを高耶の耳元に囁く。
耳元にかかる息がくすぐったいのか、高耶は体を震わせた。

 「いらねぇ・・・」

小さく、でも、はっきりと高耶が言う。
 「他から与えられるようなもんはいらない。
  そんな幸せじゃ、オレは満足できねぇよ。
  一般的な幸せなんかに興味はない。
  たとえ、他人から見て不幸だろうが、そこが地獄だろうが、お前がいればそれでいい。
  もし、俺のいる場所が天国だっとしても、お前がいないんだったら捨ててやる。」

高耶は自分を戒めていた直江の腕をするっと抜けて、波打ち際に立って直江の方を振り返った。

 「お前がいればいい。
  お前がいないなら、そんな場所、オレには意味がない。」

誘うように自分を見つめてくる姿に耐え切れなくなって、直江は高耶の元に駆け寄り、再びきつく抱きしめた。
そして、そのまま唇を重ねる。

 「それは私の台詞です。
  あなたがそこにいてくれればいい。あなたがいなければ、息を吸うことさえも出来ない。
  いや、息を吸うことぐらいは出来るかもしれない。
  でも、それだけじゃ、俺は生きていけない。
  あなたの存在が俺の“生”の必要条件なんだ。」

血を吐くように言葉を重ねる直江を高耶は動くことなく見つめる。
紡がれる言葉が甘い毒薬のように体を汚染していくのが気持ちよかった。

 「・・・あなたを松本で見つけるまで、生きていられたのが今の俺には信じられない。
  もし、あの時見つけられなかったら俺はこの生を放棄していたに違いない。
  生きているのか死んでいるのかさえも分からないような毎日で、
  全く意味のない時間だけが流れていて・・・」

この男の激情が自分を生かしているのだと、高耶はえさに餓えていた雛のように直江の言葉を浴びる。
昔はこの激しい想いに怯えていた。
触れれば、自分の弱さもすべてさらけ出してしまいそうで。
でも、今は違う。
確かに直江の吐く、激情を押さえる事のない言葉は自分に叩きつけられるが、
それは決して傷つけるものではないと、知っている。

 「あなたを見つけられてよかった・・・
  あのときの俺の気持ちが分かります?
  生きていると分かって嬉しかった。
  でも、それ以上に自分の知らないところで生きるあなたに俺は気が狂いそうだった。
  あなたの周りの人間をすべて殺してしまいたかった。
  着ている制服すら、許せなかった。
  そして、俺のことを忘れているあなたが・・・」

そこまで言って、言葉をなくしたのか、黙り込んだ直江に少し背伸びして、高耶は触れるだけの口づけをした。
それは、直江の心に触れるためのもの。

そして、腕をほどき、二歩ほど離れて、手を差し出した。


 「行くぞ、オレ達の道はまだ続いている。」


高耶の言葉に反応したかのように、空から一筋の光の道が海へと落ちていく。

気付けば雪も止んでいて、荒れていた海は相変わらずだが、それも今に穏やかな姿へと変えるだろう。


歩き出した二人のいた場所に、純白の光が満ちる。

雪を反射して、きらきらと散る光はやがて、そこにいた二人が幻であったかのように、消えていった・・・


  

3723番のリクエスト小説です。
題目は「冬と海」でした。
いつもいつも、読んでて楽しくなるようなリクエストをありがとうございます。
こんなんで、ご期待に添えているでしょうか、由香里さん。
ほんと、もっともっと進歩しないとです。
ではでは、由香里さん、リクエストありがとうございました。
そして、他の方もこんな辺鄙(笑)な所まで訪ねてきてくださってありがとうございます♪
これからも、遊びにきてやってください。

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