昔の人は、夢の中で会いたくても会えない愛しい人との逢瀬を楽しんだという。
ならば、自分達も会えないだろうか。
松本と宇都宮。
熱を感じるにも肌を交わすにも遠すぎる。
(三日経ったら会えるはずだったのにな・・・)
高耶はそう思って、何度目になるのか分からないため息をついた。
三日で会えるはずが今日で一週間。
それも、今日は後十分もすれば明日になるから一週間とプラス一日だ。
その間、声しか聞いていない。
始めはなんだったけ?と、そろそろ眠気を覚え始めた頭で高耶は考える。
(親父の出張で一人になる美弥のために戻ってきたんだったな・・・)
この時点では最後の日に直江が挨拶がてら松本にやって来て、一緒に戻るはずだったのだ。
ところが、前日になって今度は直江のほうが橘家から招集をかけられた。
葬式やら何やらで人手が足りなくなったらしい。
それで結局、一週間+一日。
前なら何とも思わなかったほどの短さのはずが、一緒に暮らすようになって常にそばにいたせいか、
今の高耶には非常に長く感じられた。
(お前の顔なんか忘れちまうぞ、直江。)
絶対にありえないことを心の中で呟いて、高耶は眠気に逆らうのをやめた。
どうせ起きていてもする事などない。
(夢の中にぐらい、会いに来いよ・・・)
まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ飛んで、ふと周りを見渡したら知っているところだった。
(ここって、光厳寺?)
夢だと分かるほど曖昧な肉体はまるで幽体離脱をしてきたような気さえ起こさせる。
(やっぱ、願望が夢に現われんのかな・・・)
だとしたら、たかが一週間程で直江がいないとやってけないほどまで直江を求めていたのだろうか?
そんな自分の弱さに情けなくなるが、せっかく見た夢だ。
中に直江もいるに違いないと、高耶はそっと中に入り込んだ。
霊体の様な体のおかげで、窓をこじ開ける必要はなかった。
静まり返った建物の中を迷うことなく、直江の部屋へと向かう。
(直江、入るぞ・・・)
中にいるはずの直江に律儀に小さく告げて入る。
部屋の中は真っ暗だったが夢だからなのか、直江の体だけはぼんやりと見えていた。
一週間ぶりに見る直江はすぐそばまで高耶が来てもそれに気付かずに眠り続けている。
(夢なんだから、どうせなら起きてろよな)
自分に気付くことなく穏やかな顔で眠る直江を毒づくが、顔を見れた喜びのほうが勝って、自然顔が緩む。
(起きるなよ、直江)
先程とは逆の事を願いながら、高耶は直江の顔のそっと手を伸ばした。
通り抜けてしまわないように気を付けながら、その顔をなぞり始める。
頬から始まって、顎や目元をなぞり、唇まで指を這わせる。
そして、ふっと顔から手を離し、布団の上にのせられている直江の手に己の手を重ね、
かわりにかがむようにして、己の唇を直江の唇に重ねた。
しかし、ぬくもりが伝わる事のない口づけは切なすぎる。
(直江・・・)
やはり反応のない直江をそのまま暫く見つめて、こんな夢なら見ないほうが良かったと、思い始める。
ただ会いたかった時以上にせつなさが募る。
(直江の馬鹿やろぉ・・・)
――――たか・・・―――――――――
(えっ?)
反応があるとは思ってなかった高耶は驚いて、直江を覗き込んだ。
だが、気のせいだったのか、規則正しい寝息が聞こえるだけだ。
落胆して、直江から離れようとした高耶は今度こそ異変を感じて、後ろを振り返ろうとした。
(誰かいる?!)
しかし、振りかえるより早く、その誰かに後ろから押され、直江に倒れこんだ。
高耶は手を布団につこうとして驚愕した。
いつのまにかそこにいたはずの直江が消えている。
いや、消えたのは直江だけではない。
部屋も、家も、そして先程までいた空間すべてが消えている。
拡がるのは果ての見えない闇。
恐怖に体が包まれる。一寸先も見えない闇。
そのなかで高耶はひたすら直江を呼び、辺りを見回した。
そして、自分の下にわずかな光点を見つけ、そこを目指して高耶は落下し始めた。
「うわっ・・・!」
高耶は急激な落下間と共に布団から飛び起きた。
「・・・夢・・・」
周りが見えない闇の中でため息をつく。先程とは違うこの闇は安らぎを与える。
心臓はまだ早鐘を打っていて、再び眠りに付くには無理がありそうだった。
しかし、暗い、という事はまだ夜なのだろうか?
高耶の家は朝になれば、カーテン越しに光がさすので、自然と朝を知るのだ。
(何時なんだろ・・・)
そう思って、普段枕もとにおく目覚ましを求め、手を伸ばした。
しかし、どこを探しても時計にはありつけない。
置き忘れたのか、とも思ったが寝る前に時間を見た記憶があるからそれはないだろう、と思い直す。
なら、どこに?
考え込んで、ふと頭にやった手が止まる。
(手触りが違う・・・?)
何となくだが、普段と指の通りが違う。
言葉に出来ない感覚に気のせいだろうと思おうとした矢先、今度は誰かが“雨戸”を開けているらしい音が聞こえてきた。
仰木家はアパートだ。雨戸があるはずがない。
愕然と自分の耳を疑う。
しかし、雨戸が開けられていく事によって徐々に明るくなっていく部屋の中で、
高耶は逃れようのない事実に驚愕した。
ここが自分の部屋でなかった、というだけならもしくはここまで驚かなかったかもしれない。
だが、先程夢で訪れた“橘義明”の部屋となれば、その驚きはさらに大きくなった。
そして、呆然としながらふとやった視線は己の左手の上で止まる。
左掌に傷がある。
見たことのあるその傷跡は間違いなく直江があの山荘でつけたものだ。
そして、その手首の一文字の傷。
さぁーっと、頭の奥の方が冷えていく。
懐に差し入れた右手は心臓の上の傷に触れる。
高耶は慌てて立ち上がり、薄明るくなった部屋の中で鏡を探した。
しかし、男の部屋にそんな物があるはずがない。
何か自分を見れるものを、と探し始めた高耶は思わぬところで、今の自分の姿を知ることになった。
物音を聞いた橘夫人がやってきたのだ。
「義明さん?起きてるんですか?」
なんと答えればいいか悩んで答えられない。
沈黙したのをおかしく思ったのか、「入りますよ」と一言断りを入れて、襖を開ける。
そして、固まった高耶を見て、橘夫人はこう言ったのだ。
「義明さん?まだ寝ぼけてるの?」
「ん〜、どの服を着たらいいんだろ・・・」
たんすの前で高耶は考え込んでいた。
直江の趣味は分かっているが、今日何をする予定だったのか分からないから簡単に決められない。
もし、まだ葬式とかが残っていたら、背広ではおかしいだろう。
そう悩んで、高耶はとりあえず、無難そうなズボンとシャツ、そしてセーターを引っ張り出した。
それを着たら今度は洗面所へ行かなくてはいけない。
髪のセットがまだだ。
しかし、どちらかといえば髪には櫛を通せばそれで充分という高耶に、直江の髪型を真似できるかのかはなはだ疑問だ。
(まぁ、出来なかったら適当でいいよな)
順応の早い高耶はすでに、このめったにない体験をすでに楽しみ始めていた。
(どうして、俺はここにいるのだろう・・・)
一方、同じ頃。 直江は仰木家で途方にくれていた。
自分が高耶の体に入ってしまったらしい事は体を見てすぐに分かった。
髪質も指の長さも体の隅々すべてが高耶のものだと、断言できる。
しかし、その理由が分からない。
第一、自分がここにいるのなら高耶はどこにいるのだろうか?やはり、自分の体の中に?
考え始めたら止まらない思考がぐるぐる、と頭の中で回る。
とにかく、着替えようと立ち上がったところで、部屋のドアを叩く音がし、直江は反射的に返事を返した。
中に入ってきたのは美弥だ。
朝ご飯を作るためにエプロンをつけている。
「あれ、お兄ちゃんもう起きるの?昨日、明日は一日中寝る!って言ってたのに。
直江さんからなんか連絡でもあったの?」
自分の名前を出されて、直江は慌てた。
「えっ・・・何で・・・」
「何でって、お兄ちゃんが急に予定を変更するのって、直江さんがらみだもん。」
「そうなんで・・・だ」
“ですか”、と言いかけて“だ”、に言い換える。
今は高耶の体の中にいるのだから彼として振舞わないければ、いけないだろう。
「美弥、は、・・・どっか行くのか、今日?」
「うん。もう、昨日まどかと遊びに行くからねって言ったでしょ!忘れたの?」
「ぁ、そうだったけ・・・。」
「お兄ちゃんは?もう、東京帰るの?」
逆に美弥に聞き返されて直江は返事に窮した。
高耶と自分が入れ替わったのなら、同じ場所に集まるべきだ。そしたら、自然場所は東京のマンションになる。
しかし、それにしても一度連絡を取ってみない事には、何ともいえないだろう。
「・・・お兄ちゃん?」
「あっ、すみま・・・ごめん。多分帰ることになると思う。」
直江の言葉に美弥は一瞬顔を曇らせた。やはり、寂しいのだろう。
それでも、すぐに笑いかけてくる。
「そっか。それで、えっと、朝ご飯食べる?もうできるけど。」
直江は心の中で大切な兄を奪った事を謝りながら、頷く。
「じゃぁ、服着替えてキッチンに来てね。」
そう言って、去っていく美弥にもう一度謝ってから直江はたんすに向かった。
とりあえず、一番下の段から開けてみる。
そうやって、高耶が普段着ている服を取り出した直江は、急いでそれに着替えた。
キッチンへ行くために部屋を出て行こうとしたとき、高耶の机の上で目がとまった。
何もない机の上に、ただ一枚の手紙だけが大事そうに伏せてある。
どこかで見たことのあるその紙が、なんとなく気になって直江はそれをひっくり返した。
「・・・これは・・・」
直江の振りをするのは高耶にとってそう難しい事ではなかった。
この四百年間そばに居続けていたのだ。
ただ、思い出そうとして記憶を辿っていくと、いらぬ直江の手管まで思い出され、高耶は度々顔を赤らめる事になった。
「それで、義明さん。今日はどうなさるんですか?もう、東京の方へ帰られるの?」
「はい、そうなると思います。」
直江が昨日までに仕事をすべて終わらせていたのは驚きだったが、その方がありがたい。
いくら、言葉づかいが真似でき、真言宗に関する知識では劣っていないとしても、それだけでは仕事は出来ないだろう。
「じゃぁ、車で?」
橘夫人にそう聞かれ、高耶は思考を停めた。高耶は車の免許は持っていない。
「・・・車は置いていきます。ちょっと用事があるんで。」
どんな用事があって車ではいけないのか。我ながら苦しい言いわけだとは思うが、どうしようもない。
しかし、橘夫人は特に何も言わず、
「そう、気をつけて帰りなさいね。」
「はい。ご馳走様でした。これ、下げときますね。」
高耶は自分の食べた皿を持って立ち上がった。
流しに皿を置いて、高耶は部屋へ戻る。
自分の家に電話をかけなくてはいけない。おそらく、直江はそこにいるだろう。
部屋に入ると高耶は携帯を取り出した。
さっき、机の上に置いてあるのを見つけたのだ。
自分の家の番号を押して、耳に携帯をもっていくと規則的な機械音が響いている。
暫くそれを聞いていると、応答があった。
『はい、仰木です。』
美弥の声だ。今日は友達と遊びに行くと言っていたがまだ出てなかったらしい。
「あっ、美弥さんですか?直江です。高耶さんはおられますか?」
何とも気恥ずかしい気持ちで妹に尋ねる。
『直江さん?少し待っててくださいね、今呼んで来ます。』
丁寧な応答のあとに「お兄ちゃん、直江さん。」という声がすこし離れた所から聞こえてくる。
そして、直江が電話元までやってきたら今度は「私、もう行くから出るときは鍵して行ってね。」と、言っているのが聞こえた。
そんな自分達の普段の会話を笑いを堪えながら聞いていると、ようやっと直江が出てきた。
『はい、変わりました。高耶さんですね?今どこに?やっぱり、私の体にいるんですか?』
矢継ぎ早に尋ねられる。
口調は直江なのに、声は自分の物で、それがなんとも変で高耶は苦笑した。
「うん。直江のところ。」
『そうですか。よかった・・・』
「でも、ちょっと驚いた。直江は?」
『私も驚きました。今は高耶さんの体を満喫させてもらってますよ。』
直江の言い方に高耶は顔を赤くする。
「なっ、なんていい方すんだよ!!」
慌てるのを電話越しにおもしろがっているのが伝わってきて、高耶はおもしろくなさそうに、話を変える。
「〜〜〜それより!これからどうする?オレは東京に帰るのがいいと思うんだけど。」
『私もそう思います。それで、私は電車で帰ろうと思うんですが、高耶さんはどうなさるんですか?』
「それなんだよなぁ。やっぱ、新幹線かなぁ。」
『それしかないでしょうね、車で帰るわけには行きませんし。でも、一人で大丈夫ですか?』
「オレをいくつだと思ってんだよ。大丈夫だって。んじゃぁ、今から行動開始だな。
そうそう、金借りるからな。お前もオレの財布から抜いていいから。
オレのは机の右上の引き出しの中にあると思う。お前のは?」
ひととおり、必要な事を決めて高耶は電話を切った。
少し考え込んで、思い出したかのように高耶はそのまま部屋を出る。
朝から色々ありすぎて一度もトイレに行ってないのを思い出したのだ。
それが、直江の言葉を聞いて安心したのか突然行きたくなってきた。
(トイレって、ここらへんにもあったよな・・・)
そう考えながら角を曲がって、目的の物を見つける。
そして、トイレの中で、高耶は大声で叫びそうになったのを堪える事になった。
改めて、これが直江の体であって、自分の物ではない事を実感したのだった。
|